book

『九鬼周造随筆集』(菅野昭正編、岩波文庫、1991年)

岡倉天心(岡倉覚三)、大友兵馬、橋本雅邦、川端玉章、沢瀉久孝、ニイチェ、ギュヨー、コロー、武林文子、松田文相、カント、ポール・ヴァレリイ、西田幾多郎、天野貞祐、落合太郎、ヒルティー、モンテーニュ、メーヌ・ド・ビラン、プラトン、フォイエルバ…

四方田犬彦『翻訳と雑神』(人文書院、2007年)

詩集『Ambarvaria』の作者はその晩年、ギリシャ語と漢語の比較研究に没頭し、同僚や弟子を二十年以上にわたって悩ませ続けた。しかしそれは西脇順三郎の詩業と無関係な営為ではなかった。そこには「完全にして純粋な言語、永遠に到達不可能なユートピア言語…

金聖響&玉木正之『ベートーヴェンの交響曲』(講談社、2007年)

4128に7じまずいたよベートーヴェン5963と知ってはいても

W・G・ゼーバルト『土星の環』(鈴木仁子訳、白水社、2007年)

表紙にも使われている写真はこの教会塔のことなのだろうか。 ……といった教区教会が、侵蝕によってじわじわと後退をとげていった崖の端からひとつまたひとつと海に落ちていき、そのむかし町が築かれていた土台もろとも、徐々に深い海底に沈んでいったのだ。………

山内志朗『〈畳長さ〉が大切です』(岩波書店、2007年)

誤謬の自己訂正や安全性・安定性に寄与するものとしての冗長畳長性から、偏差や新しさが認識できるようになる可能性の条件としての畳長性、そして生物の多様性の基体としての畳長性まで。主に情報理論で扱われるその範囲をコミュニケーション論から存在論や…

おお言葉よ、意味がない!

シニフィエが消えた記号には意味がない?いやそうではない。その空虚な記号から生まれる意味作用のうちに、むしろ意味は横溢するのだ、というようなことは、これまでに何度も目にし耳にしてきた気がするけれど、こうしてあらためて佐々木氏にいわれてみると…

W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(鈴木仁子訳、白水社)

それでもおりおりは、思考の流れが頭の中でくっきりと鮮明な輪郭を取ることもないではありませんでした。でもそうなればなったで、こんどはそれを書き留めることができないのです、鉛筆を握ったとたん、かつてあんなに安んじて身を任せていられた言葉の無尽…

オルハン・パムク『父のトランク』

文学中毒者は文学を、生命を救うためにではなく、いま生きている困難な日々から救われるためにのみもとめるのです。日々というものは常に困難です。何も書かないために人生は困難です。何も書けないために困難です。そして書いたが故にも困難です。なぜなら…

アドルノ『否定弁証法』

既存のもののカは、意識が突き当たって跳ねかえされるような正面(ファサード)を築き上げる。意識はその正面を突き破ろうと企てねばならない。それだけがイデオロギーから深遠さの要請を奪い取ることになろう。こうした抵抗のうちにこそ思弁的契機が生きつ…

『宇宙を哲学する』

前著『パースの宇宙論』への入門編、基礎編といったあたりか。近代の自然哲学を現代科学とは完全に異質なものとしてあっさり切断してしまうのではなく、その離反と近接、連続と不連続を同時に視野におさめながら、しかし妥当的側面と容認しがたい側面との見…

『アドルノの場所』『プリズメン』『アドルノ』

さて、アドルノの「自然史」という理念は、つねに新しいものの生起によって特徴づけられる人間の歴史的世界と、太古からそこにある反復する神話的な自然の世界とが、分かちがたく絡まりあっていることを、自然を歴史として、歴史を自然として把握するという…

『遊歩のグラフィスム』

名刺箱というBekanntschaftの迷宮の話から、ポルボウの断崖にあるダニ・カラヴァンによるモニュメント彫刻「パサージュ」まで。 人は他の存在と直接に知り合いとなる機縁は限られているから、とベンヤミンは考えた。迷宮の入口となる「原型としての知り合い…

『アドルノ』

第4章をもっともおもしろく読んだ。以下はメモ。・全体性、他性の排除、客観の優位 アドルノは全体性を肯定的に使用することに敵意をいだいていたわけだが、それだけに彼が音楽に関してはこれほど歴然とそれに好意的であるのを見て、意外に思われるかもしれ…

『偶像の薄明』

私の最も内面の本性が私に教へてくれるところでは、一切の必然的なものは、高処から見た場合、そして大きな経済の意味では、同時に有益なものそのものなのである。−−人はそれを堪へ忍ぶだけではなく、愛さなければならない……「運命愛」 Amor fati これが私の…

ドゥルーズ『意味の論理学』

自由な人間だけがただひとつの暴力においてすべての暴力を理解することができ、ただひとつのできごとにおいてすべての致命的なできごとを理解することができる。このただひとつのできごとは、偶然の事故が起こることを認めず、個体における恨みの力と、社会…

中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』

漱石はその『断片』に「カノ芸術の作品の尚きは一瞬の間なりとも恍惚として己れを遺失して、自他の区別を忘れしむるが故なり。是トニツクなり。」と書き残しているが、私にとって中井氏の本こそは、トニックである。この本には、そんなときには私もそうして…

鈴木道彦『越境の時 一九六○年代と在日』

フランス文学、アルジェリア戦争、日韓条約、ヴェトナム戦争。この本を読むと、コミット(メント)やアンガージュマンといった言葉の実質的な意味が、よくわかる。李珍宇(小松川事件)や金嬉老事件に関わった著者の経験はしかし、様々な過去の事例が成功や…

『カルヴィーノの文学講義』米川良夫訳

時計がシャンディの最初のシンボルなのだ−−と、カルロ・レーヴィは書いています−−。その影響の下に彼は生まれ落ち、彼の不幸が始まるのだが、それはこの時間の象徴物と一体のものなのだ。死は、ベッリが語ったように、時計のなかに潜んでいる。そして生きる…

山本義隆『一六世紀文化革命1・2』asin:4622072866

印刷革命、言語革命を中心に漁り読み。ルネサンス期にはスコラ学とも人文主義とも異なる文化潮流が生まれていた。文書偏重の学から経験重視の知へ、あるいは定性的自然学から定量的物理学へ、これら17世紀の科学革命につながる態度変更を実質的に担ったのは…

角山栄『時計の社会史』

申合セ 「其ノ地方ノ工場*1ニ於テ始業終業ノ時刻ハ予メ工場ノ規則ヲ以テ定メタルカ故ニ、此規定以上ノ労働時間ヲ延長セントスルトキハ、時計ノ針ヲ後戻リセシムルコト屡々之アリ、此場合ニ於テ若シ一工場ニテ汽笛ヲ以テ終業時刻ヲ正当ニ報スルコトトセバ、他…

ミッシェル・セール『小枝とフォーマット』

父と子 私はこの早生児、この養子と出会ったことに感謝している。少なくとも私は、最大の弱点に関しては彼と似通っている。つまり、息子は常に正当であるとは限らず、すべてを知っているわけでもなく、探し求め、つまずき、さまよい、間違い、引き返し、そし…

袁枚『随園食単』青木正兒訳註

本末 粥と飯とは本(もと)であり、余の菜は末である。本立って道生ずるわけであるから、飯粥(はんじゅく)の部を作る。 (1)飯 王莽(おうもう)がいう「塩は百肴の将」と。余はすなわちいわん「飯は百味の本」と。『詩経』に「之ヲ釈(と)グ叟叟(そう…

加藤幹郎『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』

『裏窓』って、何回見ても(実はこのあいだも見直してみたんだけど)宙ぶらりんで、殺人現場も死体も映らないし、最後の警官たちのセリフもなんだか中途半端だし、気持ちのよくない終わり方なんですよね、これが。で、どうなの? 本当に妻殺しはあったの、な…

ウジェーヌ・フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』(高橋裕子訳)

ヴァン・ダイクに関する部分*1を中心に拾い読み。以下は、メモ。 ヴァン・ダイクがそうであるように、すべて息子にあたる存在は、父親にあたる存在の特徴に加えて、一種の女性的特徴を有しているものだ。これが父親から受け継がれた特徴をいくぶんか装飾し、…

『ホイットマン自選日記(上)』杉木喬訳

潜んでいる ただ一人、このような静まり返った森の真中にやって来て、あるいは荒涼とした大草原や山の中の静けさの中にあるような、孤独の静穏さや寂しさの中にいるとき、人間が、誰かが現われはせぬか、地面の中から、あるいは木蔭、岩の蔭から飛び出しはせ…

金森修『ベルクソン』

自由 確かに、僕らの知覚はその背後からどんどん湧き出してくる記憶の圧力に押され続けている。僕らは、いまこの瞬間を見ているようで、実はいままで何度も見てきたもののようにそれを見、いままで何度も聴いてきたもののように、それを聴いている。その意味…

山内志朗『〈つまずき〉のなかの哲学』

どこにも行かない このエネルゲイアの特質を整理し、分かりやすく説明しているのが、藤沢令夫の『イデアと世界』だ。そこでの重要な一節に以下のところがある。 時間の内になく、〈どこからどこへ〉によって規定されないとすれば、当然「速く」「遅く」をそ…

『西田幾多郎』

へうへうとして水を味ふ(種田山頭火)p142 仏法は用巧(ゆうこう)〔効用・効果〕の処無し、ただ是れ平常無事、屙屎(あし)送尿〔大小便をすること〕、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、困(つか)れ来れば即ち臥(ふ)す」(『臨済録』)p156 廬山(ろざん…

『リベラル・ユートピアという希望』

主観と客観とのあいだにある現象というヴェール。しかし言語は、そのような私たち(の感覚器官あるいは精神)と実在(事物がそれ自体であるあり方)とのあいだにある障壁ではない、と著者はいう。 現象のヴェールにかんする十七世紀の議論に対するプラグマテ…

『洞窟へ』

洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー作者: 港千尋出版社/メーカー: せりか書房発売日: 2001/07メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (38件) を見る 再読。とくに4章 記憶のシステム、5章 脳と洞窟、6章 美しき動物たち。洞窟こ…