『アドルノの場所』『プリズメン』『アドルノ』

 さて、アドルノの「自然史」という理念は、つねに新しいものの生起によって特徴づけられる人間の歴史的世界と、太古からそこにある反復する神話的な自然の世界とが、分かちがたく絡まりあっていることを、自然を歴史として、歴史を自然として把握するという方法で示そうとするものだった。そのことによってアドルノは、自然と歴史をたんに対立しあうものとして固定的に捉えるのでは得られない、ある新しい視座を獲得しようとする。ルカーチの「第二の自然」という概念は、歴史的に生成した事物や人間の諸関係が物象化のメカニズムをつうじて自然的な属性を帯び、人間にとって疎遠な「謎」として現われる事態を捉えていた。だがルカーチは、その「謎」の解明を、過去ないし未来における「全体性」に委ねようとする。一方ベンヤミンは、バロック悲劇の作者たちがまさしくそのような謎めいた事物からなる断片的な世界のうちにさまざまなアレゴリーを読み取り、「継ぎはぎ細工」としての作品を仕上げたことを強調する。つまり、バロック時代の悲劇作者たちがそこにおびただしいアレゴリーを読み取ることができたように、疎外された「第二の自然」の世界とは、たんに全体性のもとに包摂されてはじめて意味を回復しうる場というのではなく、それ自体、いま・ここにおける意味生成の現場そのものをなしているのである。(「アドルノにおける自然と歴史」『アドルノの場所』p25-26)

 プルーストの素朴さとは、いってみれば第二の素朴さなのである。意識の各段階ごとに、新しい直接性が拡大されて再生される。純粋な即自存在としての文化への保守主義的な信仰を持つヴァレリーが、そうした即自的なあり方をみずからの歴史的傾向の力でもって破壊してゆくような文化にたいし鋭い批判を行っているとするなら、経験方式の変化にたいして法外な鋭敏さを持っているプルーストは、パラドキシカルな能力であるけれども、歴史的なものを自然の風景として知覚することを、彼自身の決定的な反応形式としているのだ。彼は美術館を、神の真の創造物であるかのように崇めている。じっさい、プルーストのメタフィジークによれば、それはすでに成り終わったものなのではなく、経験という具体的な契機のたびごとに、あらゆる根源的な芸術的直観のたびごとに、新たに生ずるものなのだ。驚嘆して眺めている自分の眼差しのなかに、みずからの幼年時代の一片が救い出されてきているのをプルーストは目にする。(「ヴァレリー プルースト 美術館」『プリズメン』p278-279)

アドルノがとりわけ重要なものとしてこの講演で参照を促しているのは、『ドイツ悲劇の根源』のつぎのような一節に刻まれている認識である。

バロック時代の詩人たちにとって、自然は蕾や花のうちにではなく、自然の被造物の爛熟と腐朽のうちに現われる。自然はかれらにとって永遠の変移として想いうかべられ、当時のひとびとの土星人的な眼差しのみが、その変移のなかに歴史を認識したのである、(「廃墟」)

自然のかんばせには、変移の象形文字で「歴史」と記されている。悲劇によって舞台にのせられる自然−歴史のアレゴリー的な顔貌は、廃墟としてありありと現前している。(「同上」)

 引用の最初の一節で「土星人的な眼差し」という奇異な表現が出てくるが、これは、古来占星術のうえで憂鬱の元凶とされてきた土星の影響下で、その憂鬱のもたらす瞑想力によって、事物のアレゴリー的な意味を看取する眼差しのことである。
 アドルノは、ベンヤミンの右のような一節にはルカーチの歴史哲学とは根本的に異質なものが現われている、と指摘する。つまりアドルノによれば、ルカーチが歴史的に生成したものが自然物へと硬化し、反復する神話的自然の圏内に呪縛されている疎外状況を見すえたのにたいして、ベンヤミンはその逆の側面、自然自体が移ろってゆく自然、すなわち時間を宿したある「歴史的なもの」として現われる、という事態を捉えているのである。ルカーチにおいては歴史が自然と化すのにたいして、ベンヤミンにおいては自然が歴史と化する。だが、自然的なものが歴史的なものとして登場するということは、人間の歴史的世界が自然の世界をすきまなく覆いつくし、一切の自然が歴史化された結果ではない、という点は重要である。
 アドルノによれば、アレゴリーの眼差しが「第二の自然」のうちに看破する「変移」の契機とは、むしろ「第一の自然」「神話的」と見なされている自然の本質そのものなのである。それゆえアドルノは、この講演の冒頭でめざされていた、自然と歴史の通常の対立が破棄されるあの一点を、この「変移」ないし「移ろい」という契機の求める。「自然と歴史が収斂しあうもっとも深い一点は、まさしくこの移ろいという契機のうちにおかれているのである」と。(「否定弁証法のオリジン」『アドルノ』p95-96)