2007-01-01から1年間の記事一覧

この秋にある番組の録画を見たことをふと思い出した

それは、2003年にNHKのETV特集で放送された番組『プリーモ・レーヴィへの旅〜アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか〜』で、家人が同僚に借りてきたというヴィデオ(のちにBSハイビジョンで再放送したのを録画したもの)である。そのときに『アウシュヴィッ…

『クロッシング・ザ・ブリッジ 〜サウンド・オブ・イスタンブール〜』

DVD

クロッシングには、航海や横断という意味以外に、反対や妨害といった意味もあったはず。古今を、また東西を、橋渡しする交差と衝突の都市イスタンブールの音楽シーンを取材したドキュメンタリー。ドイツの前衛バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテ…

プラットフォーム小景

恋人たちの片方が別れ際にそっと手をあげる。ためらいがちにもう片方がそれに応える。扉がスライドして、隔てられた二人はしばらくは微塵も動かない。やがて滑り出す列車。そしてもう一度、もう堪えきれないとでもいうように、いや、もうここまできたらいい…

『太陽に恋して』

DVD

冴えない教育実習生ダニエル(モーリッツ・ブライプトロイ)は、彼を密かに慕う露店商のユーリ(クリスティアーネ・パウル)から太陽の指輪を売りつけられ、パーティに誘われる。「彼は出てくるのを待ってる何かをその奥深くに持ってるのよ」。しかしそこで…

オーブン任せで楽々

MSK購読の新聞に先日紹介されていた料理「簡単おもてなし編」(チキンのロースト バルサミコソース)を作ってみた。レシピは2人分のだったので量を倍にして。鶏もも肉2枚は皮目に穴をあけ、岩塩・黒胡椒で下味を付け、マリネ液(ローズマリー2本とニンニ…

おお言葉よ、意味がない!

シニフィエが消えた記号には意味がない?いやそうではない。その空虚な記号から生まれる意味作用のうちに、むしろ意味は横溢するのだ、というようなことは、これまでに何度も目にし耳にしてきた気がするけれど、こうしてあらためて佐々木氏にいわれてみると…

『いのちの食べかた』

@第七藝術劇場。2003〜2005年にかけてヨーロッパの各地に取材したドキュメンタリー。農水産業や牧畜産業の工業化(機械化・量産化)を目の当たりにするとは、こういうことなのだろう。都市も飽食も絵としては映らないけれど、折々挟まれる現場の労働者たち…

武庫川

今その心ばへをまうけていはば。世にたふときひじりのあらんに。いみしく盛なる花紅葉の本にはしばし立よりて。あなめでたといひ思ひ。又道かひにておかしき女にゆきあひては。目も見やらずして過行めり。この二ッをおもふに。花もみぢも同じこのよの色香な…

おおい、おおい

壁に囲まれ視界が限られているせいで下に覗く水の量塊のほうへとそのまま落下していきそうな気持ちになる急で狭い階段を降りる。フランスとスペインの国境ではないから店に入って明るい吹き抜けのスペースに案内されるとそこに並べられたテーブルからは北向…

カエデ、こうかふこうか、大蛸に教えられ

「楓」を「かえで」と読む人は今でも多いが、この字は中国ではマンサク科のフウ(英名や学名ではLiquidamber)の名前で、日本でいうカエデ類(英名ではmaple)とは縁もゆかりもない植物である。今では日本でも街路樹などによく植える植物だが、当時の日本に…

W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(鈴木仁子訳、白水社)

それでもおりおりは、思考の流れが頭の中でくっきりと鮮明な輪郭を取ることもないではありませんでした。でもそうなればなったで、こんどはそれを書き留めることができないのです、鉛筆を握ったとたん、かつてあんなに安んじて身を任せていられた言葉の無尽…

オルハン・パムク『父のトランク』

文学中毒者は文学を、生命を救うためにではなく、いま生きている困難な日々から救われるためにのみもとめるのです。日々というものは常に困難です。何も書かないために人生は困難です。何も書けないために困難です。そして書いたが故にも困難です。なぜなら…

アドルノ『否定弁証法』

既存のもののカは、意識が突き当たって跳ねかえされるような正面(ファサード)を築き上げる。意識はその正面を突き破ろうと企てねばならない。それだけがイデオロギーから深遠さの要請を奪い取ることになろう。こうした抵抗のうちにこそ思弁的契機が生きつ…

『4分間のピアニスト』

@テアトル梅田。殺人犯として収監されている若い女囚ジェニー(ハンナー・ヘルツシュプルング)と彼女の才能を見込んでピアニストに育てようとする老女教師クリューガー(モニカ・ブライブトロイ)。彼女たちにはそれぞれの過去があり、年齢も価値観も大き…

落葉

『宇宙を哲学する』

前著『パースの宇宙論』への入門編、基礎編といったあたりか。近代の自然哲学を現代科学とは完全に異質なものとしてあっさり切断してしまうのではなく、その離反と近接、連続と不連続を同時に視野におさめながら、しかし妥当的側面と容認しがたい側面との見…

宇治

散策。平等院近くのお店で抹茶豆腐なるものを食す。宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアムなどを訪ねる。篠田正浩が監督した映画「浮舟」(約20分)が上映されていたが、人形たち(ホリ・ヒロシ制作)のかもす妖しさに感嘆する。ところで宇治橋近くの…

『ヤンヤン 夏の想い出』『私のように美しい娘』

DVD

『ヤンヤン 夏の想い出』 「私たちは似ている」と大田(映画の表記では一成尾形)がNJ(ウー・ニェンツェン 呉南峻)に言うのだが、嘘のつけない人間の苦しさや美しさをこんなふうにも描けるのだな。木漏れ日。家具などの部屋の調度。風船に水を入れること…

『アドルノの場所』『プリズメン』『アドルノ』

さて、アドルノの「自然史」という理念は、つねに新しいものの生起によって特徴づけられる人間の歴史的世界と、太古からそこにある反復する神話的な自然の世界とが、分かちがたく絡まりあっていることを、自然を歴史として、歴史を自然として把握するという…

『ライアー』『トーマス・クラウン・アフェアー』『ライアー ライアー』

DVD

『ライアー』 騙し騙されるスリルよりは自己陶酔の、アブサンによる泥酔の、発作による前後不覚の感じがうまく出ている。呼吸や脈拍や血圧の変化を拾うポリグラフの針に代表されるいかにもアナログな動きが、しかし対照的に、離散的なかたちで結果する人間の…

寝屋川流域下水道飛行場南増補幹線(第3工区)下水管渠築造工事現場

見学。卒業生であるokmr組のnkym部長、trgc課長を中心に、他にも沢山の方々にお世話になる。深謝。最後は活発な質疑応答の時間になり、冥利だと喜んで下さる。胸をなで下ろした次第。

けっして折衷というのではなく

干し貝柱があったので、昨夜から戻しておいたのを、油抜きして一口大にした厚揚げと青梗菜とで炒めて中華風に仕上げる。ふだんは豚肉と合わせることが多いのだが、今夜は別の一品に使うことにして、その薄切りの豚肉に塩胡椒して小麦粉を塗し、ご近所のGさ…

『遊歩のグラフィスム』

名刺箱というBekanntschaftの迷宮の話から、ポルボウの断崖にあるダニ・カラヴァンによるモニュメント彫刻「パサージュ」まで。 人は他の存在と直接に知り合いとなる機縁は限られているから、とベンヤミンは考えた。迷宮の入口となる「原型としての知り合い…

『野いちご』『苺とチョコレート』『ストロベリー・ショートケイクス』

DVD

『野いちご』 終わりではなく始まりをこそ描いた映画だろう。死を目前にした人間がやっと?変わる、その変化の兆しを描いて、見終わったあと、夢見のよかった目覚めを思わせてくれるような。老医師が名誉博士号授与式参列のためストックホルムからルンドへ自…

そうだったんだ

出会うべきものは、出会うべきときに、じつは出会っている。そのことに、気がつけるかどうか。(11月2日追記)駅への道を下っている。今夜あたりは冷えそうだなと思った瞬間、カラスの羽ばたきの音。そして重なる鳴き声。見上げると二羽のカラスがちょうど頭…

『黒帯 KURO-OBI』

@第七藝術劇場。オープニングのパロディだと思わせかねないほどにアツイ映像。ぷっと吹き出しそうになって、まてよ、本気らしいぞ、と。娯楽作品として強制される予定調和を自覚的に演じているようにも見える映画だが、そうしたお約束からはみだしそうにな…

『アドルノ』

第4章をもっともおもしろく読んだ。以下はメモ。・全体性、他性の排除、客観の優位 アドルノは全体性を肯定的に使用することに敵意をいだいていたわけだが、それだけに彼が音楽に関してはこれほど歴然とそれに好意的であるのを見て、意外に思われるかもしれ…

玉江橋から堂島方面を望む

快晴。「現代美術の皮膚」展@国立国際美術館に寄ってから*1、高砂市総合体育館までロボコン近畿地区大会の応援に行くつもり*2。『アドルノ』(マーティン・ジェイ)を読み始める。 *1:何とかこっちは行けた。マーク・クイン「僕は君に息を飲む」は修復作業…

寮直

昨日に続いて今朝も朝焼けが美しい。紅く染まった秋らしい雲が空の多くを覆っていた。スポーツ大会。夕焼けもまた綺麗だったのを知っているのは今日が寮直のせい。夕食は、ポークソテートマトソース、フライドポテト、ブロッコリーのグラタン風、生野菜のサ…

師の夢

なんでも研究発表か何かで、師の説を剽窃してしまったらしい。どの部分かは不明なまま、静かにお叱りを受けている。わたしも師も何だか「らしくないなあ」なんてぼんやりと思いつつ、である。師は昨年に亡くなっている。