『ラスト・コーション』色・戒(英題 LUST, CAUTION、2007年、中・米、アン・リー監督)

昔の上海っていうのは、こういう感じの街だったのだろうか。日本占領下の上海。祖国を裏切って力を手にしている特務機関の男と自らの恋を抗日運動という使命として生きようとする女。女は信じさせたい、男は信じたい。二人の動きを監視しているはずの、それぞれの「組織」の動きなどは、最小限度に切り詰められ、画面はむしろ時代や街の空気の方を映し出そうとしている。疑心暗鬼の心理的葛藤は、もっぱら二人の性愛への沈潜において描かれる。嘘から出た誠。思わず洩らされる言葉。それによって、相手に、また自分自身に、最も近づき得たはずの瞬間が、その自己自身との、そして相手との、決定的な離別として実現してしまう。敵を欺いていたことだけでなく、味方への裏切りにもなる告白として。(以下、ネタばれを含む)
肉塊の絡み合う交接行為の演出は、評判どおり濃厚。実際見ていてドキドキしたが、施されたぼかし以外には、猥褻なものはそこにない*1。どちらかといえば、その演技の真摯さに、思わず「ご苦労さん」と声をかけてしまいそうな感じ。いよいよ枕で口をふさぐのかと思ったら、相手の目をふさいでまで。これは彼女が目隠しで拳銃の操作を訓練させられていたのと対応する場面だろう。視覚情報にたよらず、分解し/組み立ててみよ、全身で、私という武器の微細な部品の一つひとつまでを熟知しうるほどに味わい尽くしてみよ。もっぱら目がたよりのこちらとしては、なんとまあ殺生な。
エロチックなのは、むしろ着衣のときのタン・ウェイ。彼女は、時機に応じて、すっぴんで純朴な田舎娘から、帽子がよく似合う性技を武器として身につけた大人の女へと、見事に変身してみせるのだが、挫折を経験したあとでさえ一貫しているように見える彼女の直向きさには、微妙な違いが生まれている。それは組織から与えられた自殺用の薬を彼女が飲まないことで、はじめてはっきりする。
最初は男のために動いたかもしれない彼女だが、二度目は同胞の、組織の、大義のために事を運んでいるかに見える。母を亡くし、父と弟はイギリスにいて、自分だけ上海の伯母のもとで、日本語を学びまでして生き延びねばならない彼女である。おそらく抗日という大義は、その自己喪失という現実を弥縫し、彼女に取り戻すべき自己という幻想を授けえたであろう。しかし彼女は、いわば一度は死んだひとである。今度は半ばそれと知りつつ、彼女は夢を見たのだ。映画を見終わって連れあいは、ワン・リーホンが演じた、あのクァンとかいう真面目そうな男がいかん、としきり。
しかし彼女の心にわずかな揺れが生じる隙を与えたのは、クァンの時機を逸した口づけでもなければ、トニー・レオン演じるイーが贈った6カラット*2の?ダイヤモンドの輝きでもなかっただろう。では何が彼女をそうさせたのか。じつはわかってなどいないのだが、とりあえずそう書いてみたのである。
とにかく、彼女はふっと夢から覚めた。彼女が、突然「逃げて」と口にするのは、ふつうに考えれば、男が死ぬという現実を目のあたりにすることを恐れてのことだろうけれど、そうだろうか。とにかく彼女は、もう夢を見続けるわけにはいかなかったのだ。すでに一度死んでいる女は、自分自身の死を恐れることはない。しかし女は、死をこそ恐れていた男が、その死を恐れない男に変わってしまったことに驚き、そんなふうに相手を変えてしまった自分に驚いてしまったのかもしれない。目の前にいるこの男は、そしてここにいるその女は、いったいだれなのか、と。そしてそれこそは彼女の自己自身との(そして他者との)邂逅というか、出会い損ないの瞬間、あるいは夢の中で見てしまった夢のようなものだったのかもしれない。

*1:犬にはすまないが、最初と最後のほうで映されるシェパード犬の?顔のアップに、可愛らしいのだけれど情けないようなイヤらしいような、そんなものを感じてしまった。そしてトニー・レオンの物悲しい表情を見たあとでは、どうしてもそこに彼の孤独を重ねて連想してしまうのである。寂しさの見苦しい面というか。

*2:最後にスペシャルなものとして示された石の重さを示す数は、イー夫人が買ってもらったそれよりも一応大きいものになっている。しかし彼女が最終的に選んだのは別の石かもしれない。色のぐあいが違っていたような気もする。