2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧
どういうわけか、この夏は昨年春に亡くなった母親の夢をよく見た。そんなふうに私のなかで「さよなら」が進んでいるのかも知れなかった。あるいはそれは「さよなら」することなんてできないものがあるよ、という確認だったのかも知れない。今朝方、烈しい落…
オープニングは刑務所の囚人、大名大作(伊藤雄之助)と田ノ上太郎(砂塚秀夫)のふたりによる狂言もどき。やがては親分と乾分になる二人の、ぐいぐいと物語世界に引きこんでいくセリフ、音楽、身体の所作がすばらしい。カット、クロースアップ、足さばき。…
海岸砂丘の最初の場面からヴェトナム戦争の有名なある写真が頭に浮かんだのだが、最後にやっぱり出てきた。写真ではなく途轍もなく大きなペンキ絵としてだが、それが回り舞台の書き割りになっていて、手前では映画の登場人物たちの処刑が、実際にその絵をな…
暮れなずむ六甲山の山頂付近から、瀬戸内海を遙かに見下ろしている。三つ、四つ、所々に低い雲が浮かんでいる。海面までの空間を白く霞ませているそれら薄墨色の雲のひとつを切り裂くように突然稲光が走って、一瞬空が明るくなった。二、三十秒は経っただろ…
ダニエル・ジョンストンが初恋の女性の映像をスーパー8に収めていたのを思い出して、そういえばこの映画の青年も思いを寄せる女性を手回しのカメラでフィルムに収めていたなと。少し前に見た映画。人工の光に浮かぶのは埃なのか、それとも何かの粉末なのか*…
私の最も内面の本性が私に教へてくれるところでは、一切の必然的なものは、高処から見た場合、そして大きな経済の意味では、同時に有益なものそのものなのである。−−人はそれを堪へ忍ぶだけではなく、愛さなければならない……「運命愛」 Amor fati これが私の…
シネモザイク神戸@ハーバーランドで『トランスフォーマー』を観る。見える音楽(といっても、眼は全然追いついてないけど)。変身は音楽の愉しみ。でもオートボットのリーダーであるオプティマス・プライムの大仰なセリフがその口から洩れるとき、そしてそ…
この映画のいいところは、史実から自由になって、しかし「力道山」をたんなる時代の英雄としても、また闇の力に抗いきれなかった悲劇のヒーローとしても描かなかったところだと思う。もちろん個人の性格のせいだとも、その出自のせいだとも、時代の制約のせ…
まだ全部読み切ったわけではないが、『日本文学』(8月号・特集「文学教育の転回と希望」を受けて)を久しぶりに面白く読んだ。2点だけ紹介する(以下、敬称略、また傍点や網掛けによる強調はイタリックに変えてある)。 村上呂里「ナショナルをめぐる〈声…
其一*1 飛行物体未確認 津軽海峡冬景致 今日何処悪魔男 色欲亢進何以止 其二*2 胡椒警部不可妨 波乗海賊若獅子 青春時代夏用心 黄昏吾愛思秋期 其三*3 笑赦此我熱帯魚 君打彼鐘手品師 恒星誕生自北宿 追憶白家粋紳士 其四*4 人生忽如遠行客 日月悠久運天機 …
ある女の子はスカートが短いからこそ爽やかである、ということがありうる(彼女の性的な魅力がその爽やかさによって抑えられてしまう、といったことなく、である。たとえば紺野真琴のスカートがもう少しでも長かったら、あのジャンプの爽やかさがあっただろ…
一昨夜と昨夜は地元の花火大会でした。人出もたくさんあったようです。家の表に出れば、花火は南の空に、そう小さくなく見えるのですが、一昨夜はその気にならず、部屋でポンパンと爆裂するその音だけを聞いていました。花火は好きです。ですが実施の日時を…
自由な人間だけがただひとつの暴力においてすべての暴力を理解することができ、ただひとつのできごとにおいてすべての致命的なできごとを理解することができる。このただひとつのできごとは、偶然の事故が起こることを認めず、個体における恨みの力と、社会…
戦時の公的の名のもとに行使される暴力はしかし、平時の私的な領域においてこそ傷痕を残すものなのかもしれない。監督は『マドモワゼル』のフィリップ・リオレ。始めと終わりの現在時でもって過去をサンドウィッチにしているのは前作と同じ趣向。その『マド…
漱石はその『断片』に「カノ芸術の作品の尚きは一瞬の間なりとも恍惚として己れを遺失して、自他の区別を忘れしむるが故なり。是トニツクなり。」と書き残しているが、私にとって中井氏の本こそは、トニックである。この本には、そんなときには私もそうして…
セミたちが激しく鳴いている。なんでも今年は四年に一度の大発生の年らしい。そう聞かされてみると、なんだか一段とカマビスしい。時雨というよりは土砂降りか。そういえば、道路にセミの死骸を見つけることも例年より多い気がする。ほら、ここにもアブラゼ…