さあ庭に出て働こう


どういうわけか、この夏は昨年春に亡くなった母親の夢をよく見た。そんなふうに私のなかで「さよなら」が進んでいるのかも知れなかった。あるいはそれは「さよなら」することなんてできないものがあるよ、という確認だったのかも知れない。今朝方、烈しい落雷を伴った驟雨があって、そのすぐあと、まるで雷雨をはね返すように樹上から精一杯の声をあげたのはツクツクボウシたちだった。庭園に出て働こうではないか、私たちのしあわせを慮って。そういう気持ちになってきた。