2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『カフカの「城」』『タイム・オブ・ザ・ウルフ』『隠された記憶』

最近見たもの。 『カフカの「城」』(1997年、ミヒャエル・ハネケ)……延々と中絶。右から左へ、左から右へ。画面を横切り続ける測量技師K。開けのない限られた空間を切り取るカメラはまた移動と固定のバランスの妙でもって空虚で不条理な世界を描出する。小…

角山栄『時計の社会史』

申合セ 「其ノ地方ノ工場*1ニ於テ始業終業ノ時刻ハ予メ工場ノ規則ヲ以テ定メタルカ故ニ、此規定以上ノ労働時間ヲ延長セントスルトキハ、時計ノ針ヲ後戻リセシムルコト屡々之アリ、此場合ニ於テ若シ一工場ニテ汽笛ヲ以テ終業時刻ヲ正当ニ報スルコトトセバ、他…

ミッシェル・セール『小枝とフォーマット』

父と子 私はこの早生児、この養子と出会ったことに感謝している。少なくとも私は、最大の弱点に関しては彼と似通っている。つまり、息子は常に正当であるとは限らず、すべてを知っているわけでもなく、探し求め、つまずき、さまよい、間違い、引き返し、そし…

袁枚『随園食単』青木正兒訳註

本末 粥と飯とは本(もと)であり、余の菜は末である。本立って道生ずるわけであるから、飯粥(はんじゅく)の部を作る。 (1)飯 王莽(おうもう)がいう「塩は百肴の将」と。余はすなわちいわん「飯は百味の本」と。『詩経』に「之ヲ釈(と)グ叟叟(そう…

『桜桃』

夜、サクランボを食す。 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあ…

加藤幹郎『ヒッチコック『裏窓』ミステリの映画学』

『裏窓』って、何回見ても(実はこのあいだも見直してみたんだけど)宙ぶらりんで、殺人現場も死体も映らないし、最後の警官たちのセリフもなんだか中途半端だし、気持ちのよくない終わり方なんですよね、これが。で、どうなの? 本当に妻殺しはあったの、な…

ウジェーヌ・フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』(高橋裕子訳)

ヴァン・ダイクに関する部分*1を中心に拾い読み。以下は、メモ。 ヴァン・ダイクがそうであるように、すべて息子にあたる存在は、父親にあたる存在の特徴に加えて、一種の女性的特徴を有しているものだ。これが父親から受け継がれた特徴をいくぶんか装飾し、…

『グエムル―漢江の怪物』

DVD

劇場公開時に見逃していた映画。毒の効いたコメディ。麗らかに晴れた昼下がりの川縁、のんびりとした出だしからまもなく、怪物が現れ、あっさりとその全容をさらけだしたのには驚いたが、やがて漢江の濁流は降りしきる雨を招き、かすかに届けられた声は地下…

ベルギー王立美術館展

@国立国際美術館。 アンリ・ド・ブラーケレール「窓辺の男」、エミール・クラウス「陽光の降り注ぐ小道」、ジョルジュ・レメン「ピアノに向かって」などを楽しむ。 デニス・ファン・アルスロート「マリモンの城と庭園」、コルネリス・ハイスブレフツ「ヴァ…

『ホイットマン自選日記(上)』杉木喬訳

潜んでいる ただ一人、このような静まり返った森の真中にやって来て、あるいは荒涼とした大草原や山の中の静けさの中にあるような、孤独の静穏さや寂しさの中にいるとき、人間が、誰かが現われはせぬか、地面の中から、あるいは木蔭、岩の蔭から飛び出しはせ…

the four seasons shuffle

死は春のかすみ誰にもなりにけり 面面の柱の中の春の国 行かぬ道夢見しあとか春の川 夢見るか空気を食べる夏に入る 鈴に入る六十年後の晩夏かな 掌かへしてゴッホ夏の土 猪が来てしばらく浮かぶ露の秋 秋昼寝一行の詩は与太と言う 少年や蝮のほかは秋の虹 冬…

金森修『ベルクソン』

自由 確かに、僕らの知覚はその背後からどんどん湧き出してくる記憶の圧力に押され続けている。僕らは、いまこの瞬間を見ているようで、実はいままで何度も見てきたもののようにそれを見、いままで何度も聴いてきたもののように、それを聴いている。その意味…

the four seasons 4x4

行かぬ道あまりに多し春の国(三橋敏雄) 夏の山国母いてわれを与太と言う(金子兜太) 竹生島へ妻子を送り秋昼寝(田中裕明) 晩冬が佳くて人間ひとりかな(高尾窓秋) 冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ(川崎展宏) 死は春の空の渚に遊ぶべし(石原八束) 闇…