ウジェーヌ・フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行』(高橋裕子訳)

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ヴァン・ダイクに関する部分*1を中心に拾い読み。以下は、メモ。

ヴァン・ダイクがそうであるように、すべて息子にあたる存在は、父親にあたる存在の特徴に加えて、一種の女性的特徴を有しているものだ。これが父親から受け継がれた特徴をいくぶんか装飾し、和らげ、変質させ、減じるのである。(……)ヴァン・ダイクはリュベンスよりもの静かであり、決して暴力的になることはない。表情や身振りはもっと上品である。ヴァン・ダイクはあまり笑わず、しばしば涙ぐむ。しかし、荒くれ男の号泣とは無縁である。声高に叫ぶこともない。彼は師匠の芸術にあった荒々しいところを大部分修正してしまった。彼の場合、肩の力が抜けている。驚くべきことに彼の能力は完全に天性のもので、努力を必要としないからだ。彼は自由で溌剌としている。しかし、決して熱狂することはない。
(……)自分の目を現実から逸らせてしまうかもしれない支配的タイプというものを創造しなかったので、彼は正確であり、的確に、ありのままにモデルを見ている。ただ、もしかすると、彼の前でポーズをとった人々全員に、彼自身の優雅さをいくぶんか分け与えているかもしれない。(上巻p193-195)


ルーベンスという「帝国の最も重要で最も美しい部分を受け継ぐ定め」にあった「最も天分に恵まれたヴァン・ダイク」は、この肖像画という分野で「リュベンスと肩を並べうる、それどころかリュベンス自身をもしのぐほどの」絵をものにした。しかし、

結論を言おう。ヴァン・ダイクは皇太子、それも王座が空くやいなや自分も死んでしまい、いかなる意味でも決して支配者にはなれぬ運命の皇太子だったのである。(上巻p188)


訳者は、このルーベンスに対するヴァン・ダイクの位置づけを、(「直接の師匠でこそないが」と断ったうえで)ドラクロアに対するフロマンタン自身の位置どりに重なると(ボードレールの言でもって傍証しつつ)述べている。

興味深いことに、一八五九年のサロン評でボードレールは、フロマンタンの絵画の長所がドラクロアに由来することに触れ、「フロマンタン氏の精神には少しばかり女性的なところがあります、力に優美さを添えるのにちょうど必要なだけですが」と述べている。さらにボードレールは、フロマンタンを魅了しているのが族長たちの「貴族的なダンディズム」であることを指摘している。(下巻p323-324「解説」)

*1:原書(『昔日の巨匠たち』)出版は1876年。ベルギーと題された九章とオランダと題された十六章の二部からなり、そのベルギーの部の最後の一章がヴァン・ダイクのために割かれている。全体において中心的に扱われているのは、リュベンスルーベンス)でありレンブラントである。訳者解説によれば、原書は、画壇、文壇で絶賛されただけでなく、1910年までに21版を重ねるほど、一般読者にも好評を博したらしい。図版なしでの刊行にもかかわらず、である。それから、本書で、静物画についての記述がないのは、それが最低のランクに位置づけられるジャンルであったという理由からだけでなく、図版なしという制約があったからではないか(言葉のみでもってその魅力を伝えることがきわめて困難な静物画は、版画による複製にも不向きで、したがって当時かなり複製があった風景画とは対照的に、複製されることも稀だった静物画については、読者との共通の了解事項をあてにすることもまたできなかった)、との指摘をおもしろく読んだ。