『桜桃』

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夜、サクランボを食す。

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出でまじらはん事を思ひ、夕の日に子孫を愛して、榮行く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。(『徒然草』第七段)


単純作業の仕事が残っていたので、ポッドキャストで入手した「太宰治『桜桃』(大塚明夫朗読、ききみみ名作文庫)」でも聞き流しながら、と思ったのだが、すぐに手が止まった。聞き入ってしまう。聞き惚れている。声まで漏らしてしまった。むろん笑いのそれである。そして、「父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては」小皿に分けられた桜桃を美味しくいただきながら、「子供より親が大事、と思いたい」。
その日を過ぎると中に虫が入るから「さくらんぼは六月二十四日までに食べなくてはいけない」というミラノのおかしな言い伝えをドイツ人から聞いた、と書いていたのは須賀敦子だった。

 エンリコは、幼時、夏を過ごした、ブリアンツァの片田舎にあるブルスリオという父親の領地を生涯忘れることができなかった。そのブルスリオで、ある年、さくらんぼがたくさん採れた、と聞くとエンリコは父に手紙を書いて、せめてぼくにもひと籠くらいお送りいただけないでしょうかとねだる。いい歳をした彼がこんなことを頼んだのは、ブルスリオの領地の管理を任されていた兄のピエトロ一家へのやっかみもあったのではないか、と著者のギンズブルグ*1は述べている。ピエトロに気を遣ってのことか、それとも単にブルスリオのさくらんぼがもう終わっていたのか、父親は、よそで買ったさくらんぼを送ってやる。(『ミラノ 霧の風景』p118)

*1:『マンゾーニ家の人々』の著者ナタリア・ギンズブルグ。