花火


一昨夜と昨夜は地元の花火大会でした。人出もたくさんあったようです。家の表に出れば、花火は南の空に、そう小さくなく見えるのですが、一昨夜はその気にならず、部屋でポンパンと爆裂するその音だけを聞いていました。花火は好きです。ですが実施の日時を予め知っていて、たまたまその日のお昼に強い雨が降ったりして、そのせいでその夜の打ち上げが中止になってしまうのかどうか、それが気になってしかたがない、というような花火は、いまの私にはありません。

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……パツトかなしくちりかかる。
紺青の夜に、大河に、
夏の帽子にちりかかる。
アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。
わかいこころの孔雀玉、
ええなんとせう、消えかかる。
(「花火」部分、『白秋抒情詩抄』p209)


昨年の夏、金沢で見た花火はよかった。旅先とか映画館とか、できれば花火は偶然に出会いたいな、とか、一昨夜は余裕のヨッちゃん気取りで、そんなことさえ嘯いていたのですが、二日目の昨夜はというと、午後八時半前のフィナーレ近くになって、ドドンパの連べ打ち(しかもクレシェンドに聞こえてくるそれ)の誘惑に抗いきれず(見ていたDVDも節操なくポーズして)、慌てて階段かけあがり、二階の南窓から向こう目の高さに開いては消える花火たちに、やっぱりしばし見とれていたのでした。無数の鳥たちが羽ばたいているようにも見える花火があって、これは初めて見ました。
先日『ルネッサンス』を見ました。キャラクターは典型的で話もありきたり、そもそものキャラが弱すぎる気もしたアニメでしたが、コントラストの強いモノクロームの画面構成は新鮮でした。そのあと『鉄コン筋クリート』をDVDで再見したのですが、さすがに映画館で見たほどのインパクトはなかったものの、この作品の豊饒さをあらためて思い知りました。「俺は貴様の照らした影じゃない。闇は純粋だ。濁ることもなく透明で美しい。」「そこから何が見える?」。やっぱり花火は、闇があってこそ輝くのでしょうか。