文学教育


まだ全部読み切ったわけではないが、『日本文学』(8月号・特集「文学教育の転回と希望」を受けて)を久しぶりに面白く読んだ。2点だけ紹介する(以下、敬称略、また傍点や網掛けによる強調はイタリックに変えてある)。

  • 村上呂里「ナショナルをめぐる〈声〉と〈文字〉の相克」(論文)

文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」(2004年2月3日付)と益田勝実の文学教育論を比較考察した論文。村上によれば、近代日本言語教育史において、国語ナショナリズムの復興期は過去に三期あり、そこでは〈声〉と〈文字〉が、それぞれの時期における文学教育観、国語力観のもとでの、その位置づけに絡んで、くり返しさまざまな形で相克する姿を見せてきた。では第四期にあたると思われる現在、それら〈声〉と〈文字〉の関係をどのように踏まえ、どの方向にむけて文学教育や国語力を考えていけばよいか。それを益田の仕事に可能性を見つつ、探ろうとしたものだ。
益田の研究の出発点からいえば、およそ50年の年月を挟んだ答申と突き合わせながら、一見互いに相似ると思えるその文学教育観と国語力観を、丁寧に検証していく詳細は本文に譲るが、結論的には、《答申は(副旋律において種々の可能性を潜めつつ)、主旋律においては「音読・暗唱」という〈文字〉→〈声〉という一方通行的なベクトルのもとに、既存の「伝統」の「復活」を求め「文学」の復権を唱えている。それに対し、益田は、文字を持たない「根生い」の〈声〉の文学を土壌とし、〈声〉と〈文字〉のダイナミックな相克の過程に働く「想像力」に文学の、そして「文学教育」の可能性を求めた》とその違いがはっきり対照されることになる。
益田の力を私は、たとえば彼の「国語教師、わが主体」(1961)における厳しい自己省察において感じる。リヤカーをひくおじいさんに「薄日になりましたなあ。」という挨拶をされて、何とも応答できない自身をふり返り、「ほんとうの生活から湧きだすことばを、根こそぎ失ってるんだ。おれには、あいさつさえできないんだなあ」と、《そして「生活に必要な国語の能力を高め」ることを揚げ、〈省告示〉として法的拘束力を持つこととなった昭和三十三年版中学学習指導要領について、自己疎外に追い込む「いまの生活がいやなのに、いまの生活に適するに必要な国語の能力を若い世代に伝えようとする自己矛盾」、すなわち「いまのぼくが幸福になれない生活の延長に努力することになる」自己矛盾へと》自分で自身を突きつめていく姿である。
その真摯な問いかけは《「伝統」をすでにあるものとしてとらえず、絶えず内側から民衆がつくりかえる力にこそ「文学」の力を見る》という見方にまっすぐにつながっている。《「根」から生まれた「根生い」の〈声〉に土壌を置くがゆえに、「土着」から「普遍」への通路がひらかれ、「内なることばの国」は、近代の産物たる「日本語」という境界をも越え出る。それゆえに沖縄の「オモロ」やアイヌ民族口承文芸をも位置づけた文学教育の体系が生まれた。しかしながらそれは決して〈声〉を浪漫化し特権化する位置から語られてはいない。「現代と歴史の内面的なつながり」(傍点 益田)をつくる前衛たらんと厳しく自覚する位置から語られている》。このあとの「蛇足」とされる部分に、じつは論者の論者らしいと思える文学教育観が(益田に拠らない〈月〉という概念を用いて)示されているのだが、それもここでの紹介は差し控える。

なんと小松英雄は「をんなもしてみむとてするなり」に隠されていた意味を発見したらしいのだ。どういうことか。小松は、漢字仮名混じりの活字本ではなく自筆本に近い表記で読むべしとする。《仮名連鎖の複線構造》が見えるからだ。『古今和歌集』「物名」の和歌の例だと、

 わがやどの 花踏みしだく 鳥打たむ 野はなければや ここにしも来る*1
 わかやとの はなふみしたく とりうたむ のはなけれはや ここにしもくる

で、そこに「りうたむのはな(龍胆の花)=りんどうのはな」が隠されていることがわかる。散文ではどうか。「仮名序」の冒頭、

 やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける
 やまとうたは ひとの こころを たねとして よろつの ことのはとそ なれりける

「人」が「ひと」であれば、それが「よろつ」までくると、「よろづ」との対の言葉であるとの発見が、遡及的に可能になる。つまり「ひとつ」の「ひと」、「一の心」と「万の心」というわけだ*2土佐日記の地の文と和歌を区別しない表記、雲と海の見分けがつかない状態を散文と和歌が見分けがつかない形で表現しているという指摘も面白い*3が先を急ごう。

 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。*4
 をとこもすなる日記といふものを、をんなもしてみむとするなり*5

ここから小松はその趣旨を「日記を男文字でなく女文字で書いてみよう」ととる。東原は「「世紀の発見」(!?)ではないのか」と書いているが、たしかに「おんなもじ」を浮かび上がらせたのは歴史的に大きな再発見だと思う。*6。そして、だからといって小松が「女性仮託」の通説までを否定するのは行き過ぎ、とする東原の見解にも肯けるのだが、とにかく、実際に手にとってみないとね。

*1:新潮日本古典集成

*2:名詞の語形ヒトツは、同じ意味の接頭辞ヒトが当時ふつうに使用されていた、とのこと。

*3:「十三日の暁に」から「雲もみな〜」の歌までが引かれているのだが、ここでは岩波新日本古典文学大系によるテキストと日本大学図書館蔵松木宗綱自筆本系統本『新註土佐日記笠間書院が比較されている。

*4:岩波新日本古典文学大系

*5:為家書写本

*6:「すなる」の「なる」は伝聞・推定、「するなり」 の「なり」のほうは断定ね、とかの説明より、ずっと面白そうだ。