『偶像の薄明』

私の最も内面の本性が私に教へてくれるところでは、一切の必然的なものは、高処から見た場合、そして大きな経済の意味では、同時に有益なものそのものなのである。−−人はそれを堪へ忍ぶだけではなく、愛さなければならない……「運命愛」 Amor fati これが私の最も内面の本性である。(……)人はさういふ長い、危険な自己支配の鍛錬の中から、別人となつて出てくる。若干の疑問符を前より沢山つけて、−−とりわけ、これから先は、今まで地上で問はれてきたよりももつと多く、もつと深く、もつと厳しく、もつと苛酷に、もつと意地悪く、もつと静かに問ひかけようといふ意志を抱いて……人生への信頼はかき消えてゐる、人生そのものが一つの問題となつたのだ。−−だからと言つて、その人が必然的に陰気者に、毛小舎梟になつたのだとは思はないで貰ひたい! 人生への愛すらもまだ可能である、−−ただ愛し方が違ふだけだ……それは、われらに疑問を抱かせる一種の女に対する愛である……(「ニーチェ対ワーグネル」p229-230)