『トリノ、24時からの恋人たち』


ダニエル・ジョンストンが初恋の女性の映像をスーパー8に収めていたのを思い出して、そういえばこの映画の青年も思いを寄せる女性を手回しのカメラでフィルムに収めていたなと。少し前に見た映画。人工の光に浮かぶのは埃なのか、それとも何かの粉末なのか*1。青年マルティーノ(ジョルジョ・パゾッティ)は、トリノにある国立映画博物館の夜警を仕事にしているという設定だけあって、ダイジェストながら映画史もざっと見渡せる内容になっている。それにしてもここは行ってみたいな。彼が凝った編集をして彼女アマンダ(フランチェスカ・イナウディ)に見せる自作の映画は、映画と彼女への愛がストレートに出ていて、なかなかの出来。素材を無造作に並べただけに見えたマルティーノの映画は、(偶然に?/首尾よく?)アマンダを得て、彼女を素材に含めた映像として編まれ直したものは明らかに「作品」になっていて、そのままアマンダへのラヴレターにもなっているのだ。しかしぼくらは結局はそんなふうに相手についての情報を収集・整理・制作しながら、相手が同じようにして差し出す自分についての情報と互いに突きあわせながら、他人と付き合っているということなのだろうか。たぶんそうだ。いや、ちがうだろう。まったく反対の声が同時に聞こえてくる。男二人に愛される一人の女。もう一人の青年アンジェロ(ファビオ・トロイアーノ)は自動車泥棒。ジャグアのショウルームの前で佇む彼の白いシャツが黒く濡れている。アンジェロは刺されているのか、それとも撃たれているのか。ナレーションはシルヴィオオルランド。『ぼくの瞳の光』に出ていたらしい。謎は最後には解けて、話は続くと言って映画は終わる。『冒険者たち』が60年代のややロマン過剰な青春を描いていたとしたら、この映画は00年代のプチ「冒険」たらざるを得ないリアルな青春を描いているのかもしれない。
『DOPO MEZZANOTTE』、2004年、伊、デヴィデ・フェラーリオ監督作品。

*1:ある本(の訳者による注)を読んでいて偶然に見つけたのだが、『創世記』3・19 に「汝は塵なれば塵に帰るべきなり」という言葉があるらしい。