film

『ラスト・コーション』色・戒(英題 LUST, CAUTION、2007年、中・米、アン・リー監督)

昔の上海っていうのは、こういう感じの街だったのだろうか。日本占領下の上海。祖国を裏切って力を手にしている特務機関の男と自らの恋を抗日運動という使命として生きようとする女。女は信じさせたい、男は信じたい。二人の動きを監視しているはずの、それ…

『いのちの食べかた』

@第七藝術劇場。2003〜2005年にかけてヨーロッパの各地に取材したドキュメンタリー。農水産業や牧畜産業の工業化(機械化・量産化)を目の当たりにするとは、こういうことなのだろう。都市も飽食も絵としては映らないけれど、折々挟まれる現場の労働者たち…

『4分間のピアニスト』

@テアトル梅田。殺人犯として収監されている若い女囚ジェニー(ハンナー・ヘルツシュプルング)と彼女の才能を見込んでピアニストに育てようとする老女教師クリューガー(モニカ・ブライブトロイ)。彼女たちにはそれぞれの過去があり、年齢も価値観も大き…

『黒帯 KURO-OBI』

@第七藝術劇場。オープニングのパロディだと思わせかねないほどにアツイ映像。ぷっと吹き出しそうになって、まてよ、本気らしいぞ、と。娯楽作品として強制される予定調和を自覚的に演じているようにも見える映画だが、そうしたお約束からはみだしそうにな…

『インランド・エンパイア』

先日@梅田ガーデンシネマ。どこまでがホントウで、どこからがウソか、なんて思い煩うことなく、あなたにとって何がリアルだったか、それだけでよろしい、そう言われているような気がした。だってこれ、映画ですよ、って。 この点でわたしは、どこかの森のな…

『胡同愛歌』

最近に見た映画@第七藝術劇場。自転車にかぶせられる効果音が、中国的現代を思わせる。映画は、父と息子の絆を軸に、父親の再婚話を絡ませている。ご近所同士の深いつながりから生まれる共同体の自浄的な健全さについても、さりげなく描かれている。しかし…

『恋愛睡眠のすすめ』

@京都みなみ会館。 アニメーション→『ユーリ・ノルシュテイン作品集』

『明日、君がいない』

@テアトル梅田。音響。幼稚園だろうか、幼い子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。 ガス・ヴァン・サント『エレファント』 「エレファント」との大きな違いは、登場人物たちの顔をアップで撮ったモノクロのインタヴュー映像が(複数の視点に加えて、複数の…

『約束の旅路』

@第七藝術劇場。 たくさんの母に愛されることの幸運とたくさんの母を愛することの幸福を描く。母だけでなく父も複数用意されていて(「故郷」の複数性)、養父、養祖父、ラビといった「父」たちとの協働によって誇り(自立)、分かち合い(共生)、正義(他…

『気球クラブ、その後』

@第七藝術劇場。ケータイでのやりとりに応じた短いカットの連続は、テンポよく軽快にスイッチする心に対応していて、いかにも今風なのだが、同時にけっこうシンドイのだな、これが。その感じは、じっさいに現代を生きる若者たちも共有しているのだろうか。…

『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

@テアトル梅田。アルトマン監督の遺作を観る。ミネソタ州にある劇場で、三十数年にわたって公開生中継が続けられた人気ラジオ番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」が、ついに迎えた最後の夜。苦さも暗さもその裏側にしっかり張りついているだけに、生…

『秒速5センチメートル』

MKK、彼女の友だちRIKと一緒に@テアトル梅田。「ほしのこえ」の作者による「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3編から成る連作短編アニメーション。 てっきり彼(遠野貴樹、声:水橋研二)は宇宙船にでも乗るのかと思っていた。待ってい…

『みえない雲』

@第七芸術劇場。原発事故の「あと」を生きる若い男女が主人公の青春映画。朝の湖でハンナ(パウラ・カレンベルク)が泳ぐはじまりのシーン、恋人エルマー(フランツ・ディンダ)とドライブしながら光と風を受けるラストシーンが爽やかな印象を残す。チェル…

『世界最速のインディアン』

@テアトル梅田。空気の壁を切り裂く爆発的な加速、脳天を突き抜ける電撃テイストな金属音。バイクの魅力的な部分はきちんと押さえられている。ちょっと物足りないと思ったのは、右にひらり左にひらりと傾く自在なコーナリングの妙だけだが、代わりにインバ…

『カポーティ』

見逃していた映画@シネ・ピピア(「2006年映画傑作選」を上映中)。他に選ばれているのは、「ゆれる」「時をかける少女」「マッチポイント」「間宮兄弟」「太陽」「リトルランナー」「紙屋悦子の青春」「雪に願うこと」「春がくれば」「トンマッコルへよう…

『善き人のためのソナタ Das Leben Der Anderen』

@シネ・リーブル梅田。漱石『行人』に、Hさんがドイツ語の諺「Keine Bruecke fuehrt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」を告げる場面がある。それに対して一郎は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」から借りた言葉「Einsamkeit, du mein…

『マリー・アントワネット』

@シネ・モザイク。MSK&MKKと。これは「ベルばら」ではない。宮殿に庭園、馬車に犬、家具に調度、衣装に靴、音楽にダンス、お菓子にケーキ(衣装以下は、けっこう現代風)と色彩も運動も満載の画面だが、近代的な人間の内面とか苦悩とか、そんなもの…

『ユメ十夜』

一夜ずつ十人の監督が映像化した十夜を並べたオムニバス作品。ビッグ・ネームが100年前(明治四十一年)に書いたテキストを映画はどのように換骨奪胎しているか。それが気になって見てきた。もちろん明治の時間や夢の空間を映像化してみせるのは、夢をユメと…

『鉄コン筋クリート』

その全てがおもちゃそのものになってしまった町では遊びがもはや遊びではない。老人は人間をやめることができず少年たちは人間をはじめることができない。町が壊れていくことと自分が崩れていくことが同期してしまっているがゆえの少年の破壊力。少年の弱さ…

『エレニの旅』

@第七芸術劇場。根こぎ。これがまず最初に浮かんだ言葉。カタルシスのない悲劇は、ほとんど神話。これほどまでの悲惨さにもかかわらず(だからこそ?)、涙は滲みもしませんでした。美しい映像そのものが、視ている私なんかそっちのけに悲しいせい? 軽やか…

『武士の一分』

@伊丹TOHOプレックス。山田洋次監督&藤沢周平原作による時代劇の三作目は、夫婦愛が中心に描かれていて、その点だけを見るとほとんど現代劇。木村拓哉の軽さが活きています。監督はこの人の目がお目当てだったのかな。見えない人という設定ですから、その…

『紀子の食卓』

@第七芸術劇場。園子温監督作品を見るのは、たぶん初めて。鮮やかな色彩の配合、光量の多寡のバランスがすばらしい。様々な媒体でもたらされる文字と、それらに重ねられたり、ずれたりしていく幾種類もの声。多層的になった時間は、やがてわたしの過去とも…

『パプリカ』

@テアトル梅田。MKKと。以下、ネタばれ? 音楽に乗せた映像とそのつなぎの妙、形態のメタモルフォーゼや人物の変化(へんげ)を大いに楽しみ、しかし外が見えてこない(時間が生まれてこない)閉塞感に苦しむ。自己と他者、意識と無意識、現実と夢の二項…

『硫黄島からの手紙』

@伊丹TOHOプレックス。以下、やはりネタばれ。 硫黄島の黒い砂浜は、画面いっぱいに映されたら、それを星空と見まがうほどだ。栗林中将(渡辺謙)は徒歩で島を踏査する。部隊は転戦を余儀なくさせられる。洞窟のなかを、禿げ山の山あいを。にもかかわらず、…

『麦の穂をゆらす風』

@梅田ガーデンシネマ。以下、例によってネタバレを含む。独立戦争から内戦にいたる1920年代のアイルランドを舞台にしたケン・ローチ監督作品。「殺せ」という命令からは、どうにかして逃れたいものである。 ハーリングに興じるアイルランドの若者たち。反則…

『プラダを着た悪魔』

@シネ・ピピア。MKKと。えーっと、それって誰かの命令じゃなくて自分自身の選択だってことですよね。‘War Das - das Leben?’will ich zum Tode sprechen.‘Wohlan! Noch Ein Mal!’ 以下、追記(28日)。アンディ(アン・ハサウェイ)の変身と変心は待って…

『白バラの祈り』

@シネ・ピピア。1943年ドイツ。ミュンヘン大学構内で反ナチ運動のビラを撒いた学生グループ「白バラ」の一員である兄妹とその仲間が、国家反逆罪に問われ、死刑となる。ハンス・ショル(ファビアン・ヒンリヒス)、妹ゾフィー・ショル(ユリア・イェンチ)…

『ファザー、サン』

@京都みなみ会館。以下ネタバレ。暗闇に荒い息、息切れの重なりがあって、白い肉、肉の塊の絡まりが浮かびあがる。口だけが映って、その口が欠伸するように開く歪んだ映像が挟まれて、この最初のシーンから、男たちの肉の動きのままに心が掻き乱され、引き…

『ディア・ピョンヤン』

@第七芸術劇場。父を中心とした家族を娘が撮った映画(ドキュメンタリー)。民族運動の活動家であり、総連の幹部として3人の息子を「帰国」させた父と1人残されて日本で育った娘。彼らのあいだには当然違和があり、にもかかわらず互いを思う気持ちがあり…

『父親たちの星条旗』

@伊丹TOHOプレックス。 監督の勇気を感じる作品。日米両軍の硫黄島での激戦。アメリカが切実に必要とした戦時国債。沈黙を通した男が父親として子に乞う赦し。映画は時間軸上を行きつ戻りつすることで、すぐにも劇化へと同調しそうになる観客の情動を抑制し…