カエデ、こうかふこうか、大蛸に教えられ

 「楓」を「かえで」と読む人は今でも多いが、この字は中国ではマンサク科のフウ(英名や学名ではLiquidamber)の名前で、日本でいうカエデ類(英名ではmaple)とは縁もゆかりもない植物である。今では日本でも街路樹などによく植える植物だが、当時の日本に野生の種類はない。なぜカエデに楓を当ててしまったかというと多分、”葉は単葉で五つに割れ、秋に紅葉する”といったたぐいの記述が中国のフウ(楓)の記述にあったからではなかろうか。……ちなみに牧野博士は前述の楓について、「邦人能くカエデに楓の字を用うるは非なり」(『牧野日本植物図鑑』初版一九四○年)とあっさりと書いておられる。(小野幹雄「広辞苑の植物と挿し絵」、岩波『図書』07年12月号)

 大人たちは今よりも漢語を使い、中国伝来の諺を日々使っていた。「人間万事塞翁が馬」「蝸牛角上何をか争う」を早くに耳にしている。欧米なら聖書からの引用になるところであろう。一般に、「諺思考」とオランダの歴史家ホイジンガのいうものの比重が大きかった。私は「負うた子に教えられ」を「大蛸に教えられ」と誤解して、どんな蛸かと思っていた。(中井久夫「私の日本語雑記−九 私の人格形成期の言語体験」、岩波『図書』07年11月号)

加賀美(幸子) わたしも「幸子」で、「幸」の字を改めて調べることもなかったんですが、白川静先生の『常用字解』を見ると刑罰の道具だと書いてあって、びっくりしたおぼえがあります。象形文字なんですね。
堀井(令以知) 「手かせ」の象形ですね。手にはめて自由にならないようにする、を字にしたもので、幸いにして死を免る、という意味から、「さいわい」の意味になったんだと思います。(「《座談会》豊かな言葉の森へ 『広辞苑』第六版刊行によせて」、岩波『図書』07年12月号)