『西田幾多郎』

へうへうとして水を味ふ(種田山頭火)p142

仏法は用巧(ゆうこう)〔効用・効果〕の処無し、ただ是れ平常無事、屙屎(あし)送尿〔大小便をすること〕、著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、困(つか)れ来れば即ち臥(ふ)す」(『臨済録』)p156

廬山(ろざん)は煙雨、浙江(せっこう)は潮
未だ到らざれば、千般〔長いあいだ〕恨みを消せず
到りえて還り来たれば、別事なし
廬山は煙雨、浙江は潮
(蘇軾「観潮」)p157