W・G・ゼーバルト『土星の環』(鈴木仁子訳、白水社、2007年)


表紙にも使われている写真はこの教会塔のことなのだろうか。

……といった教区教会が、侵蝕によってじわじわと後退をとげていった崖の端からひとつまたひとつと海に落ちていき、そのむかし町が築かれていた土台もろとも、徐々に深い海底に沈んでいったのだ。……。一九八○年ごろまでは、いわゆるエクルズの教会塔がまだダニッチの海端に立っていた。かつてはかなり高いところにあったはずで、そこから傾きもせずにどうして海面の高さにまで下りてくることができたものか、だれにもわからなかった。この不思議はいまなお解明されていないのだが、……


それで思い出したのだが、田中純*1によれば、アルド・ロッシの建築*2「世界劇場」*3も1981年には解体されたそうだが、こちらは中世にヨーロッパ屈指の港を有した都市ダニッチとは異なり、1979年第一回ヴェネチア建築ビエンナーレに際して建造されたもの。


土星の環―イギリス行脚 (ゼーバルト・コレクション)

土星の環―イギリス行脚 (ゼーバルト・コレクション)

*1:「塔と貝殻−−アルド・ロッシの詩学」『UP』2007年12月号

*2:田中氏は「ロッシにとって建築とは、波によって運ばれ浜辺に打ち寄せられた、貝殻のような何かであったのかもしれない」とも書いている。

*3:「鉄パイプ構造で外壁は木の板を張っており、その全体は筏に溶接された鉄梁の上に設置された。つまりそれは、いかにもヴェネツィアにふさわしい、水のうえに浮かぶ劇場だったのである。一九八○年のビエンナーレ終了後には、アドリア海を横断してユーゴスラヴィア(現クロアチア)の港町ドゥブロブニク(かつてのヴェネチア領)へと曳航されている。一艘の芝居小屋がほかに何もない海原を孤独に進む−−」(前掲文)。これを写したアントニオ・マルティネッリの写真がまたいいのだった。

『ジェリー』GERRY(2002年、米、ガス・ヴァン・サント監督)

上の映画を見た人は、この映画を思い出したかもしれない。荒野を彷徨うことになる若者二人が、最初に見知らぬ家族連れと挨拶だけを交わしてすれ違う場面がある。最後に残った一人の若者が、とうとう道路に出ることができて、拾ってもらって乗っているのは乗用車の後部座席で、そこから青年は自分がついさっきまで飲まず食わずのまま3日も歩き回っていた荒野を見つめている。その視線がふと反対側に移る。カメラがその目線で映し出すのは、隣に座って反対側の窓の向こうを見ている小さな男の子である。車を運転している少年の父親らしい中年男性がバックミラーで青年の様子を確かめる。カメラがぐるりと一回りしたかのように画面に青年の顔が戻る。若者はじっと外を見ている。その青年の視線を追うように再び荒野を映し出すカメラ。2という関係の不安定さと3という関係の安定性、だろうか。車の中でも見知らぬ青年を後部座席に一人にしたり、あるいは幼い男の子だけを一人後ろに残したのでは得られない、微妙な安定感が、ここにはある。
まだまだこれからを生きる者に、もっともっとこれからを生きることになるさらに新しい生命へと向けられた視線が(幻影としてではなく)挟まれていたことが、何というか、生きるということに含まれてしかるべきものとして、それは映されていたのだろうか、などと考えていて、思い出し、そしてもう一度見てみたいと思ったのが下の映画である。

ジェリー デラックス版 [DVD]

ジェリー デラックス版 [DVD]

『ダフト・パンク エレクトラマ』DAFT PUNK'S ELECTROMA(2006年、英、トーマ・バンガルテル&ギ=マニュエル・ドゥ・オマン=クリスト監督)

ラマ(ロマ)ってジタンとかツィゴイネルと呼ばれている人たちの自称のあのロマ? 放浪する人々? 2体の電気ロマが人間になる夢を見て…。

濃霧

池いっぱいに溜まった水のように盆地を埋めた濃い霧だった。高く煙った霧の中空からぬっと太陽が現れた。輪郭もくっきり。ふだんなら直視することのできない角度にまで昇った太陽が鮮やかなオレンヂ色をして。まん丸からやがて半分のそれになりするうち雲間に消えて、再び現れることはなかった。まぼろしと見紛うような、王寺駅から法隆寺駅の間、列車の窓からの光景。昨夜七草粥を美味しくいただいたのを突然思い出す。

『クィーン』THE QUEEN(2006年、英・仏・伊、スティーヴン・フリアーズ監督)

ダイアナが亡くなるシーンも、大鹿が撃たれる映像もない。女王が立派な角をもった牡鹿と再会するのは、すでに首(王室?)が逆さに吊られた胴体(民衆・民意?)から切り離された後である。ブレアに忠告された女王が一人で決断に苦しむシーンもない。彼女がなだめているのは皇太后ではなく、むしろすでに意を決した自身なのだし、猟に夢中の夫君フィリップ殿下にはすでに下した決定を告げるだけだ。女王と首相をつなぐ電話以上に、画面に頻出するのは新聞(記事)やTV(画像)であり、それら媒体(媒介するもの)こそが真の主人公であるかのように、人々だけにではなく女王にさえ強く影響を与えるものとして描かれている。予測はできない、だから事後を生きねばならない。にもかかわらず、後からでもできることがある、そう映画は言おうとしているかに見える。
そこで問題になるのは、女王や王室が彼ら自身の存続のために何をするかではなく、私たちが私たちのために何をどうするかであろう。ブレアが遅ればせながらも変化に対応しようとする女王を擁護したのは、眼前に出来している事態が自分たち自身の問題であることを自覚せずに、女王のせいだ王室はKYだと批判することで欺瞞的に感情処理をして事足りるとしかねない人々*1に対する怒りからであろう。ダイアナを殺したのも、どこかの国のプリンセスを傷つけているのも私たち以外にはない。直接性も、主体としてのこの私も、洞察する第三者も、到底ありえそうにない現代の社会を生きる私たちの生が、偶然を必然として、事後を生きねばならない生だとして、さてそれを生き抜くことに本当に寄与しているのだろうか、私たちが選んでいるこの世襲制度は。

*1:もちろん私自身その一人でないわけではないんです、はい。でも社会における特別な役割を世襲する「生まれつき高貴な人」を制度的に認めておいて(ということは、「生まれつき卑賤な人」もまたつくってしまうことになるのですが)、そういう人たちだけに自分たちの社会の厄介な問題を押しつけるやり方っていうのも、どうなんでしょうね。それって共同体の知恵なんでしょうか。それとも後からでもできる、やめたほうがいいことなんでしょうか。余儀なくされる偶然を生き抜く力を、私たちがこの手で(しかしほとんどは無自覚なまま)必然を与えて、それを生きざるをえなくさせている当のその人たちから、本当にチカラをもらえるんでしょうか。もらえるとしても、ずっとそういう役割を固定的に押しつけていていいのでしょうか。自分で選ぶことのない生や社会において、たとえば責任なんていう考えは、でてきそうにありませんし。『エリザベス1世』で描かれていたのは、女王が結婚できるのは欧州諸国の王族とだけで、貴族でさえ婚姻の対象とはしない世の中でしたが、現代では、生まれつきがそうでない人が、途中からそういう普通じゃない人(の一族)にならねばならない場合を考えると、精神的にもかなりキツそうです。病気になっても全然おかしくない。むしろそれがフツーでしょう。その誰かをかわいそうに思うだけで(結局は他人事で)すますのじゃなくて、やっぱり制度を別のものにするべきなのかな?などなど、考えてしまいました。