ホール・オブ・ホールズ六甲

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激しい雨と強い風が吹きつけてくる濃い霧。視界はやっと十メートルといったところだろうか。連続するカーヴ。ここは山の中だ。もちろん大型のディスク・オルゴールで聴く(『ゴッドファーザー・パート3』で使われた)ピエトロ・マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲もよかったが、キートンの『マイホーム』(の一部)をフィルム上映してくれた*1のは嬉しい驚き。90年ほど前に作られたという自動演奏のピアノとそのピアノに組み込まれた装置による効果音まで添えて*2
それはそうと、シリンダー・オルゴールには、印刷機を思わせるものがある。時計仕掛けで、音を宙に複製印刷しようとする機械。何だか人間の所行そのもののようにも見えてくるから不思議だ。

  • 両面

ヴェルガの文学の基本は簡明な骨格と力強く単純な描写にある。心理の精緻な襞を微細に書き綴ってゆく近代小説の技法でなら、わずか十五分で読み終えられるこの物語を何百ページもの小説に仕立て上げることも可能だろう。だがヴェルガの文学は逆にそのような技法を捨てるところで成立した。単純さこそが彼の求めるところであり、ここには物語の骨格を示すのに必要最小限のものしか語られていない。この単純さが「カヴァレリーア・ルスティカーナ」を芝居やオペラの台本として後世に残すことになったが、そのこととヴェルガの文学の価値とはむしろ関係がないというべきだ。D・H・ローレンスはヴェルガの文学の新しさ、圧倒的なそのオリジナリティにモダンと古代の両面を見て次のように述べている。「彼は桁外れに良い−−農民ふうで−−まったくモダンで−−ホメーロスに似て」「彼を翻訳するのは恐ろしく困難であろう……もし私がやらなければ、ほかに誰がやれるだろうか−−すくなくとも、適切には」。これは岩波文庫版『カヴァレリーア・ルスティカーナ』(一九八一年第一刷、岩波書店)の巻末の河島英昭氏による解説の引用であるが、河島氏によるこのすぐれた翻訳の作業には、当然ロレンスに対する訳者の尊敬と自負が込められていることだろう。(新井豊美シチリア幻想行』p55-56asin:478371634X

*1:16ミリ映写機による。フィルムは、アメリカのコレクターから買ったもので、以前は、ハロルド・ロイドなどの喜劇も上映していたとか。

*2:この無声映画の効果音用自動演奏楽器は「フォトプレイヤー」というらしい。→http://www.rokkosan.com/hall/gallery/index.html