『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』

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テキサスで死んだ友人の遺体を彼の生前の遺言どおりメキシコの故郷に運んで埋める話。それぞれに孤独を抱えた三人の男たち。メキシコから不法入国してきたメルキアデス(フリオ・セサール・セディージョ)を助手として雇った牧童頭ピート(T・L・ジョーンズ)は、仕事のうえでの上下関係をこえて、彼との友情を深めていく。大切な自分の馬をピートに譲ろうと申し出るメルキアデス。しかし国境警備隊員としてテキサスに赴任してきたばかりのマイク(バリー・ペッパー)は、過ってメルキアデスを射殺してしまう。やがてマイクが犯人だと知ったピートは、法によっては裁かれそうにない彼を襲い、力ずくでメルキアデスを埋葬する旅に連行する。こうして、メルキアデスの上司であり、しかし友でもあったピートと、メルキアデスを敵とみなしたマイクとが、あらたな上下関係を生きることになる。ボディになってしまった友人を埋めるための旅において浮かびあがってくるのは、バディとの約束を果たすためにすべてを捨ててボーダーを越えようとする男、捨ててきたホームをありえない美しさで拵えあげねばならなかった男、ネイションを(そしてファミリーを)背負ったつもりで自分だけを必死に守ろうとしていた男の姿だ。
映画の前半では見えにくかったボーダーが、後半では河というかたちで、友の亡骸同様に、はっきりと目に見えるようになる。しかし、これが本当に超えるべきボーダーなのだろうか、メルキアデスが言い遺した古里ヒメネスとは、いったいどこにあるのだろう、いや、そもそもメルキアデスとは、いったい誰なのか。マイクはメルキアデスの役割を代替することはできない。三度目の(これが本当の?)埋葬を済ませたピートは、あるいは捏造されたメルキアデスの記憶に相応しくこれまたでっち上げられた彼の故郷=墓所と馬を預けられたマイクは、その後どのように彼らの時間を積みあげていくのだろうか。馬で独り去ろうとするピートの背中に、やっと解放されたマイクは叫ぶ。You gonna be all right? ニーチェは「砂漠は生長する。もろもろの砂漠を蔵する者は、わざわいなるかな!」と書いた(「砂漠の娘たちのあいだで」『ツァラトゥストラ』吉沢伝三郎訳)。砂漠はけっして未知なる敵ではない。サン=テグジュペリはどこかで「砂漠とはぼくだ」と書いていたはずだ。それはたとえば埋葬が叶わないままの旧知の友の亡骸だ。
メキシコから電話をかけてきて求婚したピートをやんわり、でもしっかり断る浮気妻(ウェイトレスをしてカフェを営む夫ボブを手伝うレイチェル)を演じたメリッサ・レオが、渋い味をだしている。その浮気相手のひとりでもある州警察官ベルモント(ドワイト・ヨアカム)が、ライフルの照準を合わせるところまで追いつきながらも引き金を引かず、ピートと国境警備隊との問題だとして、追跡をやめる場面が挟まれている。
『The Three Burials of Melquiades Estrada』、2005年、米・仏、トミー・リー・ジョーンズ主演&初監督作品。
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