岡田温司『モランディとその時代』

モランディとその時代

通史的にではなくエピソードをトピックス的に採りあげながら進められる「呪われたモノグラフ」「戦火の彼方」「リアリズムと抽象主義のあいだ」「抹殺された過去」の四章が、モランディ自身の静物画のなかの壺や壜のように並べられている。光の強さやあて方をさまざまに調整するかのように、画家が取り交わした手紙やロベルト・ロンギやチェーザレ・ブランディ、ルイジ・バルトリーニといった批評家や美術史家たちの言説が鏤められ、巻末にもそうした六つの文章が「資料」として、まとめ置かれている。
孤高でも孤独でもなく、瞑想家でも哲人でも隠修士でもないモランディ。調和や安定、静謐さや一貫性といった観点からではなく、「不定形なフォルム」と「形成されたフォルム」の両極のあいだを揺れながら歩み続けるモランディをとらえること。たしかに「色調の絵画、比率の絵画、しばしば感得すらできないほどに繊細な鋭敏さをそなえた絵画」(ランベルト・ヴィターリ)ではあっても、そして「たとえより控えめで、暗黙のもので、ほとんど無意識的」だからといって、それがそのまま堅固さを、ましてや古典性などを意味したりはしない。それは同時代の美術運動への「暗黙の論争」、「より深遠な抗議の姿勢」なのであり、その「均衡のまわりには、内的に大きな振動をともなう深い闘争」が潜んでいるのである(フランチェスコ・アルカンジェリ)。「画家自身と批評家たちとの合作」としての「モランディ」と、しかしその「非単調性」とを、著者は(アルカンジェリの論点を丹念に検証しながら)明らかにしていく。
やはりモランディに揺れのあることを指摘したアントネッロ・トロンバドーリが見抜いていた芸術家モランディにある「人間の可能性の限界」への挑戦と表裏一体の小市民モランディの「無力感」。1922年フィレンツェ『春展』カタログの紹介記事で「習慣上、われわれはこれらの対象(テーブルの上の、丸パン、コップ、瓶といった一群−−引用者注)とあまりにも親密になっているため、たとえそれらの様相の神秘にどれだけ精通しているとしても、見てはいても何も知らない人間の眼でしばしば眺めてしまうのである」と書いたデ・キリコは、モランディのことを「彼は信じる人間の眼で眺める」と書く。
モランディはしかし、決して「自分自身へと逃げ込んだ」わけではない。「ほとんど子供のような甘美さと気骨あるエネルギー」という「たぐい稀なるふたつの極端」を「一致させている」(カルロ・カッラ)のである。「「真実のモランディの顔」なるものがあるとするなら、それは、そうした揺れのうちに、微妙だがたえずぶれている振幅のうちにあると言うべきだろう。変化しないモランディとは、実は、変化をくり返しているモランディのことなのである」p280。
著者は、モランディが1917年作の自画像を破毀した理由を「他者の眼差しのもとにあまりにも不用意に、不本意な自分の姿をさらけ出してしまったという、後悔にも似た思いがあったからではないだろうか」と推測しているのだが、未来主義者たちのダンディズムの残響をそこに聞くことも可能とされる、仕事着ではなく盛装して鏡の前で身嗜みをチェックしている画家の若い自画像はたしかに、見ている対象が真逆で、視線の折り返しも往復もなく壺や壜をじっと見つめる写真に撮られた初老のモランディとは対照的である。
破毀された自画像は、簡単には志を枉げそうにない柱の太い鼻、やはり意志的でそれだけに不満げにも見える口唇、ラウンドのシャツのカラー同様に、つるんと丸いのにその面積のせいか強い印象を与えるエラも加わって、一見優しそうで妙に固い表情なのだ。決定的に思えるのは右目と左目の印象の違いで、二面性のある人物にも見えてしまう(この見方は、わたし自身がそうだという告白になってしまっているのかも知れないが)。そして人物の後ろのドアは、あくまでも出口であって、だれも入れそうにないので入口ではない気がするが、本人もしかし、いっこうに出ていきそうにないのだ。

岡田温司『モランディとその時代』(人文書院、2003年)[ISBN 4-409-10019-X]