『マリー・アントワネット』

070204.bmp


@シネ・モザイク。MSK&MKKと。これは「ベルばら」ではない。宮殿に庭園、馬車に犬、家具に調度、衣装に靴、音楽にダンス、お菓子にケーキ(衣装以下は、けっこう現代風)と色彩も運動も満載の画面だが、近代的な人間の内面とか苦悩とか、そんなものはほとんどなくて、人間が作りあげたものの美しさと自然の美しさが対照されつつ、王侯貴族の生活の痛いほどの豪勢さと退屈さの両面を映像化している。登場人物、とくにマリー・アントワネットに、わたしたちと同じような「人間」なり「心情のドラマ」なりを期待したひとは、この映画の人間描写を平板なものと勘違いしてしまうだろう。
国家間の政略結婚を背負った一少女が耐えねばならない重圧や孤独、世継ぎを産んで地位の安定をはからねばという焦燥は、もちろん描かれている。彼女が既成の概念にとらわれない合理性と奔放さを併せもった女性であることも。しかしたとえ彼女が自分の腹を痛めた子に対する母親としての愛情さえもっている女性であったとしても、たとえば婚外性交渉について倫理的に葛藤することはないし、民衆的存在なんて自作オペラの題材以上でも以下でもなく(この映画における群衆の扱いや彼女のとってつけたように慇懃なお辞儀のシーンなどを思い出すまでもないだろう)、革命にいたっては降って湧いた災難以外の何ものでもないが、身に及ぶ危険からは当然逃れようとする。そうした振る舞いの幾つかは、18世紀に皇帝の娘として生をうけ14歳で結婚し18歳で王妃となった者の、まったく素の一面なのであろう。
ソフィア・コッポラ監督のたんなる洒落なのか、それとも現代と共有するものがあるというメッセージなのか(要所で使われる音楽とも考え合わせると、どうもそのようだが)、淡いブルーのスニーカーが映る場面がある。