『ユメ十夜』

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一夜ずつ十人の監督が映像化した十夜を並べたオムニバス作品。ビッグ・ネームが100年前(明治四十一年)に書いたテキストを映画はどのように換骨奪胎しているか。それが気になって見てきた。もちろん明治の時間や夢の空間を映像化してみせるのは、夢をユメと書き換えるようには、そうあっさりとはいかないだろうし、尺が10分程度という制約もあるので、それぞれの監督がどんな工夫をしているかが見どころ、と思って見ていたのだが、『夢十夜』を読みかえしたい気にさせてくれる作品が多く、楽しめた。
いちばん面白くて、思わず声に出して笑いもしたのが第六夜(松尾スズキ監督作)で、音楽に合わせたTOZAWAの過剰に分節された踊り(自由「関節」話法!)に猛烈な力があるのだが、この冷静な計算とも懸命な祈りとも見えるアニメーションダンスが、運慶の彫刻する姿を代替的に表象する行為に見えて、しかし実際には彫刻なんかしていないという見たままの事実を指摘されるためのものである、というのが何とも可笑しく、さらにこれをまた真面目に、しかも明らかに技巧的には稚拙に「反復」してみせる「わたし」(阿部サダヲ)の踊りでもって、これでもかと追い打ちをかけてくる。
漱石作品だからそうなってしまうのか、男優たちよりは女優たちが光っていて、なかでもいちばん女優(緒川たまき)を美しく撮っていたのは、第九夜(西川美和監督作)だろうか。彼女が、たとえば『明暗』を監督したら、どんな映画になるだろうか、などとふと思う。もっとも妖しかったのは第一夜(実相寺昭雄監督作)の小泉今日子で、なまなかでない勇気を感じたのは第十夜(山口雄大監督作)の本上まなみ
アニメーションで作られた第七夜(天野喜孝、河原真明監督作)は、これだけ方法が違っていたということもあるが、原作をふまえながらも、それとは別に独自の一個の世界が構築されていて(セリフがぜんぶ英語で日本語字幕というのも面白かった)、原作にはない船から飛び降りた主人公が水面に没した「あと」まであって、それが作り手自身のものなのか、それとも作り手による漱石解釈なのか、そこにひとつの生命思想が描きこまれていて、閉塞的で決して明るくはない作品世界が最後には宇宙へと開かれていく感じで、心持ちを軽くしてくれる。夢というものの漠とした印象をうまく伝えている作品で、これだけでも、もういちど見てみたいと思った。
http://www.yume-juya.jp/