食パン、おはぎ、氷砂糖、おはぎ

今朝、頂き物の食パンを厚切りのトーストにしてかぶりつきながら、パンがうまいのは手で食べるからだ、ということに思い至る。ナイフ、フォークで食べるパンを想像するまでもない。ごくあたりまえのこと、何をいまさら、のはずなのに、やっぱり頂いたパンそのものが美味しかったせいだろうか、なんだか新しい発見をしたみたいに嬉しくなってしまった。ほほ。コーヒーもお代わりしよう。というわけで(?)『雪沼とその周辺』を読みかえす。この小説に自然に手が伸びたのは、このあいだのセンター試験の国語の問題に、この本に収録されている短編「送り火」が使われていたのを目に留めていたからかもしれない、などと思いながら、目次を眺めていて、この小説が『石の葬式』と同じワインズバーグ・スタイルだったことを思い出した(「周辺」のあるぶん、輪郭は少し滲んだ感じになっているのだが)。
送り火」は、自宅(大きな農家)の一部を貸したことが縁で結ばれた年の離れた男女(陽平さんと絹代さん)の話。真っ直ぐで芯があってそれでいて穏やかなふたりの、互いを思いやるこころの機微を描いた短篇には、試験に採用されなかった部分に、絹代さんが一度も火を灯さないまま四十個以上も買い集めた灯油ランプにまつわる、ずいぶんつらい話も書かれているのだが、わたしがはっきり覚えていたのは、二人がまだ結婚する以前、その貸間(二十畳敷きの板の間)で陽平さんが営む書道教室に通ってくる子どもたちに、絹代さんのすでに還暦を過ぎた母親が「ずっと悩まされていた膝の痛みも忘れて」「おやつにおはぎをつくったりするようになった」という場面である。
じつは今日読みかえしたのは「イラクサの庭」のほうで、こちらは東京の料理教室を畳んで雪沼に移り住んだ独身女性小留知先生と彼女が遺したレストランをめぐる話。土地と建物は町に寄付されて、今後は町の集会所兼図書館の分室として使われるらしいレストランは、先生の分身ともいえるイラクサのスープが名物で、小さい頃「おろち」蛇女とからかわれた彼女の名字Oruchiの綴り直しでもあるOrtieを使って《イラクサの庭(オ・ジャルダン・ドルチ)》と名づけられていた。どこかに影のあった先生が亡くなるとき、消え入りそうな声で残した謎の言葉。アラン・フルニエの未訳の短篇と一度だけみせた彼女の涙がつながるとき、少年がポケットから取りだした透きとおった石のような氷砂糖、先生がはちみつやグラニュー糖ではなく穏やかな味になるからと常備して料理に使っていた、あるいは彼女がときおり大切そうに口に含み、旅先にも飴のかわりにかならず携えていた氷砂糖が、彼女の人生の謎を解く重要な鍵となって浮かんでくるのだが、なんだそうか、おはぎも氷砂糖も、ちょくせつ手にとって口に入れるものだったんだ。と打ちこんだ指がキーに押し戻された瞬間、映画『紙屋悦子の青春』にでてきた丸々としたおはぎが、目の前に浮かんで、それがまたあまりにも美味しそうなので、思わず手が前に出てしまった。