『わたしを離さないで』


わたしを離さないで

わたしを離さないで


だれかが自分の名前を名乗って何ごとかを語ろうと話しはじめます。キャシー。もちろん知らない人だからそれは「ねえねえ聞いて聞いて」というように話されるわけではなく、だからこちらもまた「それでそれで」というようににではなく、しばらくはただ静かに耳をすませて聞いています。遠い異国のこと。そしてときどき「うん」とか「ええ」とか相づちを打ちます。ヘールシャムでの幼い日々のこと。そしてどこに運ばれていくのかわからない物語に身を委ねながら、でも心のどこかではやはり他人ごとさ、と呟いていました。いや正確にいうと、呟いたつもりでいました。販売会や展示館や森のこと。しかし話はいつの間にか、それを物語っているひとのものではない昔を思い出させるようにもなってきたのです。
ああ、いえそれはワタシのことですよ。そうそう、そういえばアイツとのあいだにあったあの出来事、あの場所で、あのときの光、風、温もり、匂いまでが蘇ってきます。どうもありがとう、と思わず口に出してしまいそうになって、待てよと気がついてみると、話がずいぶんと深刻な問題を含んでいることがわかってきました。「使命」のこと。どうすればいいのでしょうか。数奇な運命を辿ることになった友だちルースやトミーのこと。もちろんワタシにはどうすることもできません。物語はしかし、何だか恐ろしそうな話なのに、戦慄という感じはぜんぜんしなくて、なぜだかむしろ、ワタシたちの生きている、このごくありふれた日常のことのようにさえ思えてくるのです。
メロドラマによくあるような三角関係の話もあります。しかし浮いたところがまったくありません。ありえたはずのない特異な話だからでしょうか。細かいところまで辻褄が合うように緻密に組み立てられているからでしょうか。それとも淡々としたその語り口のせいでしょうか。いや、そんなことよりこのまま黙って話を聞き続けていていいものなのでしょうか。「提供」のこと。やっぱりこちらからも何か言ったほうがいいのではないか。「猶予」のこと。語り手はこちらの思惑にはお構いなしに、粛々と話を進めていきます。そしてついにこちらからはひと言も言葉を差しはさめないうちに物語はお開きとなりました。話が終わってしまった今になってみても、どんな言葉をどう発してよいのやら、とんとわからないまま、途方に暮れているというのが正直なところです。
少しふり返ってみましょう。「何が待ち受けているか。自分が何者か。何のための存在か。ちゃんと教えたほうがいい」。これがルーシー先生の意見でした。でも、何が待ち受けているかなんて、ふつうの人間にはそんなもの、死以外に確実なものなんて何もありませんし、自分が何者かだなんて、人間だという以外にどんな確実な答えがあるでしょうか。そして、何のための存在かという問いに対しては、むしろその問いを考えたり生きたりするための存在なのだ、とでも答えればよいのでしょうか。要するに、それらは、答えをだれかに教えてもらえるような問いではない。しかしルースやトミーやキャシーたちは違いました。彼らには「使命」という逃れられない運命があったからです。
自分たちは生徒たちに何かを「誰からも奪い去られることのない何かを」与えることができた。保護すること(隠すこと、嘘をつくこと)によって。「将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一所懸命になれます? 無意味だと言いはじめたでしょう」。それでは生徒たちに「子供時代」を与えることなどできはしない。これがエミリ先生の考えでした。信じることや知ることをめぐって保護官たちは意見を異にしていました。ルースが知りえなかったことを「知りたがり屋」の自分たちは知ることができた。「信じたがり屋」だったルースはしかし、信じるものを抱えて使命を終えたから、それはそれでいいのだとトミーはキャシーにいいます。でもトミーはこうも言っていたのです。「ルーシー先生が正しいと思う。エミリ先生じゃない」と。
マダムがキャシーの問いかけに答えたことばも印象的でした。

「あの日、あなたが踊っているのを見たとき、わたしには別のものが見えたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱きしめて(……)」p326


自分が介護する提供者の口にする不満(「記憶が褪せて困る」)とは対照的に、キャシーは「わたしの大切な記憶は、以前と少しも変わらず鮮明です」と強調します。いつまでも離さないでいることができるのは、記憶の中だけだよ、そう言いたげにも聞こえますが、彼女が本当に言いたいことはそんなことではないようにも思います。わかりません。しかしルースを思いやってトミーが言ったことをキャシーが語ることのうちには、信じることや知ることの重要性以上に、たとえそれが運命を変えることにはならないのだとしても、試みるということの大切さというものが潜んでいるような気がするのです。彼女の語り方、その語りの中で示された生き方には、未知なものに向き合おうとする者を支え励ますものがあります。そのことを、ようやくですがいま、感じているような気がします。