『西田幾多郎』


西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)

西田幾多郎 (KAWADE道の手帖)


安藤礼二の「入門」を読んで「潜在性」「出来事」(ドゥルーズ)と「場所」「述語」(西田)が対応してんだと確認したり、小泉義之檜垣立哉の対談を読んで、「器官なき身体」と「絶対無」との関係がよくわかんねえってことがわかったり。田中小実昌の「なやまない」にあった《わからなくて読んでると、もどかしく、うんざりし、たいくつする。ところが、わかりやすくても、たいくつした。》なんていう言葉に深く肯いたり。いや、こっちのほうがもっと腑に落ちたり。

ところが、ぼくはなやまなかったんだなあ。小説を読むのは好き、哲学もわからないのに好きだったが、なやまない。なやみたくても、なやめないんだから、しようがない。p82


でも西田のようには悩めない田中には最後に、矛盾のない神ではなく、イエスがでてくる。理屈でも信仰でもなく、まるごとの矛盾として。