『映画のようには愛せない』

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冒頭に置かれたカメラテストのシーンで、女優の顔が、ビデオカメラのモニター画面にアップで映し出される。この微妙に揺れる顔が、のっけから見る者の目を釘づけにし、心を鷲づかみにする。表情だけでなく向ける方向まで注文されている彼女の顔は、虚実の皮膜というものをイメージにしたならば、これになるしかない、といえるくらいに力があって、ある瞬間には仮面のしたから素顔が覗いているようにも見え、また別の瞬間には素顔のうえに仮面がさっと被さったかのようにも見える。
映画の中の虚構の世界(映画内映画)とそれを演じる男優と女優との現実の恋愛を重ねながら、男女の心情の機微、とりわけ男の弱さ醜さを見事に映像化している。肌の色が美しい光に溢れた画面。主人公の設定がアクターとアクトレスだからといって、なにも特別な男女の例が取りあげられているわけではない。わたしたちにしたところで、大なり小なり自分を演じている男優や女優なんだし。劇中劇は、それぞれの理想(妄想?)の世界のようなものとも考られる。いや、ひょっとして、ことばとからだの関係がちょうどそんな具合なのかも知れない。わたしたちは、思うようには話せないし、考えるようには書けないのだ。
「私が望む人生」が原題(「LA VITA CHE VORREI」)の意味らしい。ドマーニを感じさせるラスト。ウソ(強がり)から「はじまり」が始まり直してもいいのかもしれない。ルイジ・ロ・カーショ、サンドラ・チェッカレッリ主演。『ぼくの瞳の光』のジョゼッペ・ピッチョーニ監督作品。