『生命と現実』
この本、精神医学者と哲学者との関心のずれが顕れていて面白い。他者、個別性、性をめぐっての対話から引いてからめてみる。
- 作者: 木村敏,檜垣立哉
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/19
- メディア: 単行本
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木村 自他の逆転というのは、それ自体は決して病的な状態ではなくて、いってみれば人間にとって、宗教とか芸術とかそういう極限的な状態では瞬間的に表に出てきうるし、あるいは分裂病のような場合にはむしろそれのほうが持続的な状態になりうるのだけれども、普段は、一般の常識的な健常者の日常生活では、完全に隠されているだけではないか、ということですね。健常者ではどうしてそれが隠されているのか。健常者は、これはやっぱり個別ということに立たなきゃそもそも生きていくのが難しい。健常な日常性というのは、この隠蔽の上に築かれたものなんですね。p115
檜垣 先生が初期から引用しておられる西田の、自己の底に他者を見、他者の底に自己を見るという議論は、西田的にいえば「逆対応」に繋がっていく話ですよね。自己は有限だが、自己がはらむ無限として、自己の中に無限が入ってきている。そしてそれは、同じく有限者として把捉される他者のなかに、他者から見て他者である自己があらかじめ入っているという、そういう否定を含んだ相互の折り込みみたいな議論になっています。亀裂を生みだすものとして自己と他者との非調和的な関係があり、実はその非調和性において相互性が成立しているという、一種込み入った議論になっていると思います。p98
木村 フロイトはリビドーという形でセクシュアリティを中心に置いたのに、実は生殖のことはなんにも言ってないのです。これは大きい問題です。このことをはっきり指摘したのはヴァイツゼカーです。フロイトの性理論には生殖の問題が出てこない。子どもをつくるという問題ね。それとフロイトの性理論にはオーガズムについての議論がないんです。オーガズムがなければ生殖ができないわけでしょ、少なくとも男性の場合は。生殖というのは非常に大きな問題だと思います。p119