『パプリカ』

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@テアトル梅田。MKKと。以下、ネタばれ?
音楽に乗せた映像とそのつなぎの妙、形態のメタモルフォーゼや人物の変化(へんげ)を大いに楽しみ、しかし外が見えてこない(時間が生まれてこない)閉塞感に苦しむ。自己と他者、意識と無意識、現実と夢の二項対立を避けつつ、一元化をもすり抜けようとする試み。子どもっぽい爽やかさ(「時をかける少女」はよかったけど)よりも大人のイヤらしさ、という姿勢も嫌いじゃない。でも行き着くところが、パプリカって「何でも呑み込む」少年がやっぱり必要とする母にだけど足りないスパイスだった、っていうのはどうなんだろう。自己の欲望に忠実な?ターザンの場面は、反復が生かされていて笑えたけど。夢を捨てたはずの男は、最後は自分で自分をなんとかした(夢から抜け出た)のかな。どんな出口になるのだろうか、こっちは。