『麦の穂をゆらす風』

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@梅田ガーデンシネマ。以下、例によってネタバレを含む。独立戦争から内戦にいたる1920年代のアイルランドを舞台にしたケン・ローチ監督作品。「殺せ」という命令からは、どうにかして逃れたいものである。
ハーリングに興じるアイルランドの若者たち。反則を戒める年輩の審判。しかし英軍の兵士たちは、違法である「集会」をおこなったと、有無をいわさず武力で若者たちを蹂躙する。「視線は下だ、オレの顔を見るな」といいながら。英語で自分の名前を返答しなかった17歳の少年は、その場で撲殺される。仲間を裏切った幼なじみの少年に「後ろを向け」と命じて、その背中に銃弾を撃ち込んで処刑しなければならないような、そんな犠牲を払ってまで手に入れた和平条約とその批准は、しかし自由に向けての前進なのか、それとも後退なのか。そして英軍が去ったあとにも余儀なくされる戦い。主人公デミアンキリアン・マーフィー)が、兄テディ(ポードリック・ディレーニー)によって処刑される直前まで考えつづけることになるのは、彼の戦友でありかつての仲間に射殺されてしまったダン(リーアム・カニンガム)の言葉「誰が敵であるかはすぐにわかる。しかし何のために戦うのか」である。何のためか。何度問い直されても、これは難問である。覆面がまったく意味をなさないような、顔見知りの同胞を敵とするのだからなおさらだ。ダンは、国家の独立には貧しさの解消の仕組が、その政治に組み込まれていなければならない、と主張していた。しかし仲間だけでなく兄弟まで殺さねばならないような戦いは、まず自分自身の心を殺さなければならない闘いである。何のために。
「殺すな」と顔にその命令が聞こえるのなら、たとえそれが空虚な根拠しかもたないものだとしても、「正しい」ものとしてその声に素直に従いたいものだ、とも思った。イーストウッドの近作以上に監督の勇気を感じた映画。
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