『ファザー、サン』

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京都みなみ会館。以下ネタバレ。暗闇に荒い息、息切れの重なりがあって、白い肉、肉の塊の絡まりが浮かびあがる。口だけが映って、その口が欠伸するように開く歪んだ映像が挟まれて、この最初のシーンから、男たちの肉の動きのままに心が掻き乱され、引き込まれていく。顔と顔の近さは、「マザー、サン」でもそうだったけど、そのときは入り込めない壁のようなものを感じた。今にして思えば、ソクーロフはあの映画でも、家族(の愛)を描きながら、永遠、あるいは限りのなさと、それに向きあう有限の存在、その恍惚と孤独を問題にしていたのかもしれない。この映画はしかし、届かなさのようなものが前面に出ているわけではなく、むしろ近すぎる距離の間合いのとれなさのようなものがある。カメラ目線で父が語りかければ、夢のなかの息子がそれに応える(息子がパンツ一枚でいるこの場所は、「マザー、サン」のロケ地だが、「太陽」にもあった空に重くのしかかる墨のような黒雲は存在しない)。
軍人養成学校での息子と少女との窓越しの対面、対話も強い力の交錯する場面だ。現実にはありえない距離で語り合う二人の切り返しのショット、その連続。窓枠にくっつくほどに近づけた顔同士の、半分を枠で隠したり、わずかに開けた窓の隙間から片目をじかに覗かせたり。触れる以上に触れながら、食べたいけれど食べられたくない。リズムを刻むように、言葉を交わし合うふたり。父親が失踪してしまった青年に向かって息子はいう。父を失ったものは、どんなことにも恐れてはならない、と。路面電車、レール、その分岐、窓からの街角、街の眺めが美しい。そしてそれがリスボンだとわかったときには、正直戸惑ってしまった。屋上での父子がともにするサッカーのシーンも、心身の躍動感にあふれている。しかし、少女がいうように父子は兄弟ではない。そしてその屋上からのオレンジに染まった海、彼方にシルエットになった一隻の大きな船(貨物船、いやタンカーだろうか。「マザー、サン」では、画面の左肩に、二隻の帆船が青い海原のうえに小さく、しかしくっきりと白く、刻まれていた)。
隣家の窓へと二枚の板を渡してつくった狭い橋のうえで、男たちは戯れる。緊張と弛緩。チャイコフスキー。肉こそが悦楽であり、苦悶である。ラジオ。どこからともなく聞こえてきて被さる会話。父の愛は苦しめる愛、息子の愛は苦しむ愛。息子によって聖人の言として紹介されるこの言葉は、三度は繰り返されただろうか。十字架にかける父と、十字架にかけられる子。レンブラント、放蕩息子の帰還への言及。放蕩するのは父親ではないか。息子は帰り道を迷わない、道は一つだから、と青年はいっていた。息子から一緒に行くといわれ、父は散歩をとりやめて、ふたりはそれぞれのベッドで眠りにつく(「マザー、サン」では、母は息子に抱えられて、子は母を抱えて散歩に出る)。父の家を出る、と息子はすでに宣言していた。今度は父の夢に息子が呼びかける。いや、私一人だと応える父。屋上に積もった雪のうえに素足のまま出ていき、そこにもある板の渡し橋のうえで足を滑らし、夜明けの海に向かって腰をおろして、父は膝を抱え込む。