『父親たちの星条旗』

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@伊丹TOHOプレックス。
監督の勇気を感じる作品。日米両軍の硫黄島での激戦。アメリカが切実に必要とした戦時国債。沈黙を通した男が父親として子に乞う赦し。映画は時間軸上を行きつ戻りつすることで、すぐにも劇化へと同調しそうになる観客の情動を抑制しつつ、登場人物たちの生きた数十年にわたる時間の厚みを、火薬の爆裂音で切り貼りされた平面のわずか2時間あまりの連続でもって持ち堪えようとしてみせる。無力感に寄り添うようにくり返し奏でられる静かな音楽も、リリカルにだけはなるまいと、むしろその貧しさのうちに踏みとどまっている。
イーストウッド監督は「英雄は要らない」とこれははっきり言葉にしている。兵士たちは「軍は兵を見離さない」がウソだと知っている。にもかかわらず彼らは戦う。他でもないバディたちのために。星条旗を立てようとする兵士たちを撮った1枚の写真が3人の人生を大きく変える。歴史の大波と非情な国家とに翻弄される若者たちと写真の裏に隠された真実を映画は丁寧に描いていく。海に出て終わる映画に名作がまたひとつ加わったと思う。
3人のうちのひとりであるレイニーは、向こう見ずで世間知らずのままに生きていく青年で、タイロン・パワー気取りと揶揄されている。映画にはカーメン・キャバレロに似たピアニストが一瞬出てきた気がしたのだが、錯覚だろうか。タイロン・パワーには戦前の作品に『地獄への道』『怪傑ゾロ』『血と砂』などが、そして戦後には『愛情物語』『長い灰色の線』(この2作は「父と子」がテーマともいえる)などがある。チーフことアイラはピマ族出身であり、勝手につくりあげられていく虚像とのズレに心を痛め、またネイティヴ・アメリカンゆえの悲哀をも生きねばならない。もうひとり通称ドクは、衛生兵として戦場で、そして葬儀屋となった職場でも、「彼はどこに行った?」と呼びかけることになる。

(追記)遅まきながら私はこの映画を見てはじめて、パレードこそが「ミスティック・リヴァー」だったのだと気がついたのでした。