『名詩渉猟』

「詞華を択ぶ時は、それを創作する以上の見識と才覚を験されることを覚悟しておかねばならぬ」とは、まことにもってこわい話である。そしていきなり空海の『秘蔵宝鑰(ひざうほうやく)』が引かれる。その終結部の四行。

三界の狂人は狂せることを知らず。
四生の盲者は盲なることを識(さと)らず。
生れ生れ生れ生れて生(しやう)の始に暗く、
死に死に死に死んで死の終に冥し。


とくにこの末尾の二行は「伝道之書」の冒頭「空の空 空の空なる哉 都(すべ)て空なり 日の下に人の労して為すところの諸(もろもろ)の動作(はたらき)は、その身に何の益かあらん。世は去り余は来る。地は永久(とこしなへ)に長存(たもつ)なり。日は出で日は入り、またその出でし処に喘ぎゆくなり。風は南に行き又転(まは)りて北に向かひ、旋転(めぐり)旋りて行き、風は復(また)その旋転る処にかへる。河は皆海に流れ入る。海は盈(み)つること無し。河は皆その出で来れる処へ復還りゆくなり」と通底通天してはいまいか。

ろはにほへ
りぬるをわ
たれそつね
むうゐのお
まけふこえ
さきゆめみ
ひもせ


「とかなくてしす=咎無くて死す」とは「いゑす」のことであり、「いちよらやあゑ=イチヨラ・ヤアウェ」とは「神、燔祭(はんさい)に赴き信ふ」なるヘブライ語ではないか。こんな文字謎をつくれるのは、唐で漢訳聖書を読んだ(であろう)空海以外にない、と塚本邦雄はいうのである(「苦艾(チェルノブイリ)変相曲」)。


名詩渉猟―わが名詩選 (詩の森文庫 (102))

名詩渉猟―わが名詩選 (詩の森文庫 (102))