『日本語の森を歩いて』


日本語の森を歩いて (講談社現代新書)

日本語の森を歩いて (講談社現代新書)


郡山で降りてください。郡山に降りてください。
奈良高専大和郡山にあります。奈良高専大和郡山であります。
いつか話す。いつか話した。いつか話している。
よく来ます。よくは来ない。よく来ない。
いつでも腹がすいている。急に腹がすいている。
買ってこないで。買って、こないで。行ってきません。
あなたが解いた。あなたが解かれた。あなたが解けた。
すごいな。すごいね。すごいなね。
よく言う。よく言うよ。よく言うよな。よく言うなよ。
口先ばっかし。口の先ばっかし。
唇寒し。唇が寒い。わたしは暑い。あっつ。
玄関先で失礼します。玄関先に失礼します。
走って逃げる。逃げては走る。逃げて走る。
助けて。お助け。助け。
しまう。おしまい。おしまった。

−−だから、たとえば日本語なら日本語の文法的に正しい言表をすべて生成させる規則を探そうなどとは思わないわけだよね。そんなことはまず不可能だし、文法というのはそのような意味での生成規則の集合というわけではない。言語はたえず自分自身を生み出しているのでもあるけど、そのときにどんな関係次元、どんな操作領域が起動させられているかこそが問題というわけだ。
−−ある意味では、わたしたちはそれぞれの言語を通して、時間や空間、つまり経験世界を構成しているのよね。そのような時空の構成、発話者とか共発話者とかいった主体間の関係、さらには問題となっている事態(出来事)をどのように認識しているかというアスペクトの次元、それを主体がどのように位置づけているかというモダリティーの次元、さらには観念領域の形成の仕方、その領域内の要素をサーベイする量の次元、質の次元など、もういろいろな関係が複雑に絡み合って機能している、それをどう記述するかが興味深いのね。p223-224