『ライフ・アクアティック』


ライフ・アクアティック [DVD]

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こういう映画をつくって楽しみ、みて楽しむ。
余裕だな。

汪倫に贈る


李白 舟に乗って将に行かんと欲す
忽ち聞く 岸上踏歌の声
桃花潭水 深さ千尺
及ばず 汪倫 我を送るの情に


なぜ?と問いかけるもよし、歌って送り出すもよし。
行動を共にすることが、いちばんの贈り物なんだろうけど。


李白詩選 (岩波文庫)

李白詩選 (岩波文庫)


もちろん、ユーモアの光が浮かびあがらせる深海の闇もある。

サンチョ・パンサは−−ついでに言えば、彼はこのことを一度も自慢したりしなかったが−−長い歳月をかけて、夕べや夜の時間にあまたの騎士道小説や悪漢小説をあてがうことで、のちに彼がドン・キホーテと名づけることになった自分の悪魔を、わが身から逸らしてしまうことに成功した。この悪魔はそれからというもの、拠り所を失ってこのうえもなく気違いじみた行ないの数々を演じたのだが、こうした狂行は、まさにサンチョ・パンサがなる予定だった攻撃の矛先というものを欠いていたので、誰の害にもならなかったのである。自由人サンチョ・パンサは平静に、ことによると一種の責任感から、このドン・キホーテの旅のお供をし、ドン・キホーテの最期の時までその旅をおおいに、そして有効に楽しんだのだった」〔「サンチョ・パンサについての真実」、『万里の長城の建設に際して』所収〕。(ヴァルター・ベンヤミンフランツ・カフカ」、『ベンヤミン・コレクション2』所収より重引)


〈父〉とはやっかいなものである。
映画は、なんとかして〈父〉を笑いとばし〈父〉から逃れようとしている。
そのためにここではドン・キホーテ船長がサンチョ・パンサ助手との二役を演じていて、その結果息子ではありえない息子である助手が助手でいられなくなり、父の身代わりに息子として水葬されてしまうのだ。

「彼は自分の個人的な生活のために生活しているわけではなく、彼は自分の個人的な思考のために思考しているわけでもない。彼にはまるで、自分があるひとつの家族の強制の下に生活したり思考したりしているように思える。……この未知の家族のために……彼は自由な身になれないのだ」〔「彼」〕(ヴァルター・ベンヤミンフランツ・カフカ」、『ベンヤミン・コレクション2』所収より重引)。


「命令」するのは、〈父〉を強制する未知の家族ではなく、〈父〉をはぐらかさずにはおかない深海の巨大鮫である。
しかしそれがどのように構成されている/生息しているのか、わたしたちにはわからない。
そしてわからないかぎり、船長は〈父〉から逃れることができず、自分自身がその一部分である助手を犠牲にする航海を続けなければならないのである。
自己と共に〈父〉を壊しつつ、そのつど〈父〉を引き受け直すこと。
そうやってずらしていくしかないのかもしれない。
自分を撮るカメラ、どうせ回すしかなさそうだし。