『フランス哲学・思想事典』


フランス哲学・思想事典

フランス哲学・思想事典

 ルネッサンスという歴史学の術語は今日では一般化しているが、この一語はミシュレが創始したものであり、また彼の体験に由来することはあまり知られていない。北イタリアのモンフェラト地方のアクイと呼ばれるところに、硫黄質の鉱泉が湧くところがある。鉱泉といっても、わが国九州の南端の、体に砂をかけるたぐいのものであって、しかしわが国のように体を横たえて砂をかけるのではなく、砂を縦形に掘り下げて患者の体を一回ごとにより深く埋めていくのである。1853年、55歳のミシュレは8年がかりの『フランス革命史』7巻を完成したが、疲労の果てアクイに到着して馬車から降りようとして失神しかかった。しかし治療のおわる3日目には、ミシュレは首から上だけを地上に出し、埋没した全身は母なる大地(テーラ・マーテル)からその精気のすべてを受けとり、最終的には彼女と一体となって、体は完全に精気をとり戻した。この生きながらの埋葬によって、ひとたび大地の一部となった、つまり死んだミシュレは、自然の力によって再生あるいは新生することができたのである。(「ミシュレ、ジュール」篠田浩一郎)p295

 ところで、祈りは誰に向けられていたのか。言うまでもなく神である。キリスト教では神とは「父」である。その「父」は遺棄された。だが「息子」もまた、父の死によって取り返しようもなく遺棄されてしまった。この場合「主よ、主よ、なんぞわれを見棄てたまいし」という十字架のイエスの言葉はどちらのものなのか。息子のか、それとも父のか。ともかく父は「見棄てられた神」だった。病のために四肢の自由と視力を失い、世界から締め出され、狂気によって理性にも見放され、最後には絶望だけを伴侶に戦火の町に棄てられた父、この狂った無力な父が、バタイユの「神」のイメージに深い影を落としている。父とはまた権威の形象でもある。近代の社会的な反抗はたいてい「父殺し」の形を取る。既存の秩序に対する反抗も「父の秩序」への反抗であり、エディプスの物語を変奏する。だがバタイユが反抗すべき父は、この世でもっとも見棄てられた人間だ。この父にノンを言うことでどんな自分を肯定することもできない。だからバタイユの世界に対する異議提起は、たんなる反抗にとどまることはできない。(「バタイユ、ジョルジュ」西谷修)p565

「統治」という概念をフーコーは16世紀にあった広い意味で、たんに政治的構造や国家の運営のことではなく、個人および集団の行動を導くやり方、子供や魂や共同体や家族や病人たちを導く、他の個人たちの行動の可能性に働きかけるための行動形式と定義する。統治するとは、他者たちのありうべき行動のフィールドを構造化することである。知の形式も、主体化という自己自身への関わりも、権力に一方的に規定され従属させられているのではく、統治性のプロセスが分節される支点である。抵抗はつねに権力のなかでしか起こらず、権力の外にあって権力に抵抗できるようなものは何もないのだから、権力への〈抵抗〉という考えは意味をなさない。それに対して、抵抗しうるのは、〈統治〉の諸形式に対してである。ひとはあるやり方によって統治されることを拒絶したり、ある統治の形式に結びついた知や別の主体性のあり方を対置することができる。このように考えることによってフーコーは統治性との関わりにおいて〈抵抗〉の根拠を導き出す。この統治の概念は、権力関係の司法モデルと戦略モデルとの対立から脱却し、権力関係を〈自由〉の働きに向けて開くこともできる−−(「フーコー、ミシェル」石田英敬)p585-586