『芸術人類学』


芸術人類学

芸術人類学

 苦痛と快楽の同一性というサド侯爵的命題から出発して、宗教的苦行と法悦の本質をめぐってジョルジュ・バタイユは、決定的な一歩を踏み出した。「エロティシズム」という一般的主題のもとに、苦行と法悦の主題を取り込んで、バタイユはこう論じた。「トランセンデンタル(超越的)」なものが人間を貫いていくとき、理性的に思考する日常の主体は、はげしい苦痛を体験することになる。平静な状態をつくりあげている平衡が、それによって解体されていくからである。そして、その解体をとおして、「トランセンデンタル」なものに貫かれ、包み込まれて、いわば「無の主体」となった者は、その中で言語で表現することのできない法悦の感情にみたされることになる。主体の構造が解体されるときに、極限的な快楽が法悦として体験される。ここでは、苦痛と快楽は同一であると同時に、弁証法的に一体である。いわば、シェリングの同一哲学とヘーゲル弁証法とが渾然一体となったところに、苦行と法悦の理解は可能となるのである。p164(「神と幻覚」)

 ですから、動物たちとちがって人間は狂いやすいのです。狂気に陥りやすい性質をもっています。さきほども言いましたように、「流動的な心」の働きを本質としているために、外の現実とちゃんとした対応関係をもたない幻想界というものが形成されて、この幻想界をもとにして自己イメージを抱いたり、世界の意味を考えたり、そこで行動したり、あるいは他人の心の内部でおこっていることを推測しようとする、そういう「人間的」な行動をおこなうようになります。人間は妄想をもちやすい生き物です。「流動的な心」の活動が開かれて、かつてないほどに広大な自由があたえられ、外の現実世界をつくっているさまざまな限界づけを越えた心の活動が可能になってくるのと引き替えに、というかその裏面として、幻想性や妄想がたえまなく発生してくるのです。p12(「芸術人類学とは何か」)

(3)ラスコー洞窟の場合、長い杖を手にして、鳥の仮面を着装しているとおぼしき「シャーマン」の姿が描かれている絵が発見されている。問題はその絵の描かれている場所である。垂直な縦坑の向こう側に、瀕死のパイソンの傍らに倒れているこの「シャーマン」の像は描かれている。ここから考古学者たちはこう推論した。画家は「もっこ」のようなものに乗るか、綱でからだを吊してもらって、縦坑の向こう側に身を乗り出すようにして、この絵を描いたのであろう。しかも、さらに注目すべきことには、この縦坑からは高濃度の二酸化炭素吹き出しているのである。これほど濃度の高い二酸化炭素を長い時間吸うと、中毒死にいたる。そのとき男性ならばペニスの勃起が観察される。まことに暗示的なのは、そこに描かれている地面に倒れた「シャーマン」のペニスも勃起していることである。ここでは今日言うところの「臨死体験」が試みられていたのではないか。p181(「神と幻覚」)