『娼婦と鯨』

なんで浜に打ちあげられるなんてヘマをやってしまったんだろう。目の後ろに銛を刺されたあの70年前のことは別としても、まったく同じ浜に再び、なんてね。それじゃあ、自分の運を試してでもいるのかって訊かれてもしょうがない。でも神秘が謎として置かれているのか、それとも謎があることこそが神秘だっていうのか。ヴェラはもう随分昔、奔放な青春時代を生きていた頃に一冊の本を出版したことのある作家だが、現在は雑誌の仕事をしている。医師をしている父とは疎遠になっている。やはりそれがもとで亡くなった母親と同じ病を患ったことに気がついたヴェラは、元カレでもある編集者が持ってきた写真に添える文章を書くための取材の話を引き受ける。ジョルディは彼女が再び作家に戻ることを期待していたのだった。息子を人に預け、夫にも病状を知らせないまま、死に場所を求めるようにしてスペイン内戦の戦場に赴き、自分の番が来るのを待ちながら戦死者を撮り続けて死んだアルゼンチンの写真家エミリオが撮った30年代のヌード写真と、彼によって書かれ、しかし投函されることはなかったロラという女性への手紙を手がかりに、スペインからアルゼンチンに飛ぶヴェラ。そこで乳房の切除手術をした彼女は、隣のベッドに横たわる老女が自分の捜している男女と深い関係にあったことを知るのだった…。娼婦として売られた女と乳ガンに冒された女。パタゴニアの美しく厳しい自然のもとで、彼女たちはバンドネオンを操る盲目の音楽家スアレスとあるいはその孫にあたる運命を信じない生物学者とそれぞれに出会うのだが、その出会いを通じて、自由に生きたかった女と自由に生きようとする女の人生が、70年の年月を経て交錯する。