『モンパルナスの灯』


ずいぶん久しぶりの再見。伝記的事実に近いのは、アンディ・ガルシア主演『モディリアーニ 真実の愛』のほうだろうか。ミック・デイヴィス監督は、ユダヤ系イタリア人画家の生涯を、ピカソとの確執とカトリック娘ジャンヌとの悲劇的恋愛を軸にして描いたが、ジャック・ベッケル監督は、コンペも子供もジャンヌの後追い自殺も省いてしまって*1、無垢(ジャンヌ/アヌーク・エーメ)に憧れ経験(モレル/リノ・ヴァンチュラ)にまみれることを潔しとせず、自らの肉体からはそれを削り取りながら、他方でその生命をこそ画布に残そうとした男の姿を浮き彫りにする。自分のほとんどを理解し、その甘えには包容(ときには毅然)をもって対し、暴力に対してさえノンシャランを演じるしっかり者の女たち(ロザリー/レア・パドヴァニ、ベアトリス/リリ-・パルマー)から逃れ、汚れを知らぬかのような(しかし自分をついには理解しないかもしれぬ)女とともに生きようとする画家だ。彼はジャンヌに、けっして自分にないものを求めているのではない、しかし彼女に自分を与えることもまたできないのだ。
金持ちアメリカ人が今にもホテルから発とうとしているところでの絵を売りたい/売りたくないシーンは、その前後も含めて、人物と話の展開に目まぐるしい動きがあって印象的だ。アメリカ人から、彼がすでに購入したセザンヌの絵を見せられ、風景画は描かないのかと訊かれたモディリアーニは、ゴッホの次の言葉を口にして、なぜ人物を描くのかを説明しようとする。「人間には教会にないものがある」。たぶん誰もがそう思うように、モレルの憎たらしさはよく出ている。前半、ガラス越しにモディリアーニを見るシーンのあったモレルだが、後半、彼の予言どおり誰も足を運ばなくなった個展の2日目に再び訪れたモレルが、生きているあいだは売れない、と言い残してやはりガラス戸の向こうに去ろうとするその背中に、友人である「篤実」スボロウスキー(ジェラール・セティ)が石膏像を投げつける場面がある。窓枠に残ったガラスの破片を手にとったモレルは、弁償しろよ、100フランだ、と顔色一つ変えずにその値段まで口にするのである。ほんのわずかな時間だが、美しいニースの海岸が映る。まったく忘れていた。しかしあれが現地ロケなら、大変な変わりようだ。モディリアーニの死を看取ったモレルが、ジャンヌにそれを知らせずに、彼女から手当たり次第に絵を買い漁る、動きのままのラストにも圧倒される。
『MONTPARNASSE 19』、1958年、仏、Jacques Becker監督作品。

*1:しかしレジェの絵を真似たようなデッサンをする画学生がいたり。