『西田幾多郎の生命哲学』


西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)


忘れている身体を思い出させてくれることば。しかし考えてみればおかしなもので、言葉は私たちを頭だけにし、ほとんど目と耳だけにする大がかりな装置でもあって、そうやって身体を忘れさせておいて、さて何をやっているのかというと、やはり何かを作っている。今までになかった組み合わせで、あれとこれとを取り合わせて、新しい何かを拵えているのであって、そしてそれこそが身体を思い出させるということなのである。走っていればいい、泳いでいればいいというものではない。もっとも手足を動かして何ものをも作らない運動は、それはそれで贅沢なものであり、やはり身体を忘れさせてくれるのではある。それでも人間はそうすることで、やっぱり何かを生みだしている。身体を生き直すためにも、身体を離れる/思い出すことが必要なのだろう。身体がなければモノは作れない。もちろん、生命も言葉も。そして身体がいつか消え去っても生命は残る、別の身体があるかぎり。それを用いる別の身体があるかぎり、言葉もまた身体を離れて生きつづけるように。