『プラダを着た悪魔』

061126.jpg



@シネ・ピピア。MKKと。えーっと、それって誰かの命令じゃなくて自分自身の選択だってことですよね。‘War Das - das Leben?’will ich zum Tode sprechen.‘Wohlan! Noch Ein Mal!’
以下、追記(28日)。アンディ(アン・ハサウェイ)の変身と変心は待ってましたと楽しめたけど、それ以上にミランダがパリのホテルではじめて弱みを見せる場面が圧巻だった(その時点では知らされていない問題もさらに抱えていたことがあとになってわかる。すっぴん風メイクもすばらしいけど、やっぱりメリル・ストリープの演技がスゴイ)。女性同士の彼女たちのあいだには、アルキビアデスとソクラテスとのあいだにはあったかもしれないこんな関係はなかったのだろうか。

「さらに、いまぼくは自覚しているが、もしぼくが耳を貸そうとすれば、それに打ち克つことはできず、同じ目に遭ってしまうだろう。この人はぼくにこう同意させるからだ。すなわちぼく自身多くを欠いているのに、自分自身を配慮せずアテナイの国事をなしているとね。そこで無理矢理、セイレーンたちから逃れるように、耳を塞いで逃げていくのだ。そのまま私が、この人の側に座りながら年をとってしまわないようにね。
 また、人々の中でこの人にだけは、誰もぼくのうちにあるとは思わないような物、つまり、誰に対してであれ恥じるということを、経験したのだ。ぼくは、この人にだけは恥を感じるのだよ。というのは、この人が命じることをなす必要はないと反論することはできず、他方で、この人から離れると大衆から与えられる名誉に負けてしまうと、ぼくは自覚しているからだ。だから、この人から脱走し逃亡するのだが、その姿を見ると、前に同意したことを恥ずかしく感じるのだ。
 それだから、しばしば、このひとが人間の世界にいるのを見なくなれば嬉しかろうと思う。だが今度は、もしそうなったら、ぼくはずっと大きな苦しみを抱えるだろうとよく知っている。だから、ぼくはこの人間をどう扱ったらよいのか、分からないのだ。」(『饗宴』)−『哲学者の誕生』より孫引き


いや、もっと彼女たちはそれぞれに独立している。独立していなければ、アンディは自分の道を行くことはできないし、ミランダは彼女にエールを送ることもできないだろう。でもどっちがソクラテスでどっちがアルキビアデスなのか。二人の役割が反転してるところもありそう。ということで、ピンぼけ気味の比較よりこっちの詩のほうがふさわしいのかもしれない(といっても、田島正樹氏がご自身のブログ「ララビアータ」11月27日に紹介されているのを、これまた孫引きするだけ)。

テルモピュレ


たたえられよ! 各自の日々の生きのいとなみの中で
これぞテルモピュライと定めて守るものは!
義務ゆえになすにはあらず。
すべてに行いを正しくして偏らず。
だが もののあわれも なさけをも知り、
金持ちならば 気前よく
そうでなくともそれなりに気前よく、
できるだけ人だすけをして
いつもほんとうのことをいいながら
ウソつく奴をにくまない!
いっそうたたえられよ、見通しつつも踏み留まる者。
ついにはエフィアルテスのたぐいが出て
結局ペルシャ兵が戦線を突破すると
見通しつつ持ち場をすてぬ者がけっこういる。
(『カヴァフィス全詩集』)


まあ、ふたりを足し合わせたらってことで。


カヴァフィス全詩集

カヴァフィス全詩集