『パースの宇宙論』


パースの宇宙論

パースの宇宙論


プラトンの洞窟やミノタウルスの迷宮の存在を実感することになった鉱山体験の二、三週後にエマソンはその「日記のなかで、人間とははるか上空にある自由を見つめつつ、自分の鎖を鍛える仕事に戻らざるをえない奴隷のようなものだと述べている」。エマソンスフィンクスを「宇宙と生命とをめぐる根本的原理の追究者の前に立ち現れ、それを導く象徴的存在へと昇華」させたが、パース自身がより強く惹かれたのは、スフィンクスやミノタウルスといった「存在の背後に暗示される光のささない洞窟であり、迷宮であり、迷路のほうであった」。「宇宙の誕生と進化を説明するのは、連続性の集合論でありグラフ理論であり、ひいてはトポロジーや可能性をめぐる様相論理学である」。ここにこそ「その奇怪な複雑さ、迷宮的な闇の深さと、その闇の輝き」がもつ魅力がある。「世界が「創造」される以前にも神の知性においては妥当するであろうといわれる、唯一絶対の論理的真理という考え」を拒否しているパースにとって「唯一可能な普遍的妥当性が数学的真理」であった。パースその人こそはエマソンの日記にある「人間」を体現する人物であり、「自らを縛りつける鎖を研ぎすましながら、どこまでもその暗闇の奥へと向かいつづけようとする」人であった。(「エピローグ」の言葉を interweave しつつ)


第三章だけから、メモとして引く。

 コスモスの生成を、百万人のギャンブラーの振舞いや「宇宙の卵の生成」になぞらえるこの進化論的宇宙論は、無数の偶然の重なり合いがさまざまな規則性を生み出し、そこから大規模な体系的自然が整うということを主張し、さらには、いっさいの自然の規則性には常にわずかながら不規則性が残っており、完全な体系性、規則性はいまだ将来のことに属することを主張している。この思想は前章で見たように、「謎への推量」第七章「物理学における三項性」の出発点となる思想であり、そこで確認したように、その発展形態である『モニスト』シリーズの五論文では、この非決定論の考えは「偶然主義」と呼ばれる根本的な理論的支柱となるのであった。
 それゆえ、結局パースにとっても、宇宙論の主要な課題は自然世界の規則性の成立根拠を明らかにすることであり、そのために彼が打ち出した独自な論点が、ミクロの混乱からマクロの安定性へと発展するという視点であり、この考えが彼の進化論的宇宙論のストーリーのもっとも根本的な枠組みを形づくるものであった−−p110

……パースは「カントールによって連続性がはじめて論じられるようになった」ことをいちはやく見抜き、その成果の革命性を最大限に評価した。しかし同時に、その連続系列の理論によっても「連続性」の真の意味が突き止められたところまではいっておらず、カントールの方法をどこまでも徹底して、連続体の真の性格を明らかにするためには、彼が導入した集合論的視点にもとづく無限系列の階層を、もう一度幾何学的対象である線を構成する点の無限性に戻して考えて、無限の点が線の連続性を作り出す論理をさらに解明しなければならない、と主張した。そのためにパースが応用しようとしたのは、古代のアリストテレスの連続体の考えであり、その結果として彼は、線上の各々の点がそのうちに無限の部分点をはらんだモナドであるという、彼の時代よりもずっと後に作られることになるロビンソンらの「超準解析(nonstandard analysis)」の発想−−およびその基礎的な数学的道具立てを提供した、ツェルメロ、フォン・ノイマンらの集合論−−とほぼ等しい考えにたどり着いたのである。p128

 アガペーとはまさしくこのメビウスの環の進行の論理にほかならない。宇宙の進行とは自己否定を通じた自己帰還としてのアガペーであり、メビウスの環であるが、その環が作り出す物質的自然もまた、それ自体のうちに、機械論的・原子論的側面と流動的・自発的・偶然的側面の両面を往復するような性質をもったものとして、高次の規則性に従う存在者である本性を露にする。そして、物質がこのような高次の規則性のもとで現れるとき、まさしく世界は最終的に合理的で対称的なものとなる。先に連続主義を考察したところで、われわれはパースの自然観が現代の量子論的物質像と重なる面をもつことを見たが、彼自身の抱いた物質像は、二重的特徴を円環的に往復する、高次の規則的存在者である。巨大なるメビウスの環、永劫に脈打つウロボロスの環、それがアガペーとしての宇宙の真の姿なのであり、その宇宙が自分自身の鏡像を自然というかたちで作り出すのである−−。p177-178


パースの未完の著作・断片から彼の宇宙論を再生させ、その理論的格闘の有効射程を探ろうとする本書では、その宇宙論の概要を示したうえで(プロローグ)、詩的・神話的想像力に支えられた数学的形而上学として生成したその多宇宙論の思想的背景をエマソン、ジェイムズ父子らに訪ね(第一章)、その思考の根本的形式でありかつすべての存在の「元素」ともされる「一、二、三」の三つのカテゴリーが、それでも幾何学からいかにして導かれるかを追い(第二章)、その進化論的宇宙論の理論的支柱となる三つの主要思想(「偶然主義」「連続主義」「アガペー主義」)が説明され(第三章、やはりここが圧巻)、宇宙の誕生のロジックというもっとも困難な問題(時間の生成)に対するパースの洞察にせまっていく(第四章)。そしてこの実質的終章である第四章が、ボードレールの詩に始まり終わる円環的構造になっていることから自ずと引き出されたかのように、最後に全体を振り返ってその発想の疑いようのない「われわれにとっての現代性」が確認されつつ、パースが早くから注目していた円環算術(暗号学と密接な関係にある)が紹介され、その末尾近くには、彼が「驚くべき迷路」シリーズ第一論文の冒頭に掲げたエピグラフ(「『失楽園』第五巻に歌われた、神の言葉を聞いた天使たちの歓喜にあふれる舞踊(おどり)についての描写の部分」)が置かれている(エピローグ)。

Mazes intricate,
Eccentric, interwov'd, yet regular.
Then most, when most irregular they seem.