『カフェ・ミュラー』

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夜、NHKでやってたピナ・バウシュの「カフェ・ミュラー」を見た。
ペドロ・アルモドバル監督の「トーク・トゥ・ハー」でちらっとは映るけど、ぜんぶ見たのはこれがはじめて。
長さも知らずに、ずっと緊張したまま見てしてまったので、かなり疲れた。
画面をとおして見たわけだけど、踊り手の身体の動き、その組み合わせ方から、求めはあっても見通しが限られていて、同じことをくり返すしかないもどかしさ、どうしても埋められない互いの隔たり、つながれなさ、のようなものは十分伝わってくる。
トーク・トゥ・ハー」には打ってつけというか、ちょっとツキすぎなくらいに感じた。
ただ、アルモドバルの映画とはちがい、死と誕生という両極端に振り分けてしまうことなく、余儀なくされる反復をしかし微妙にずらし続けようとするバウシュのこの作品には、過去からの延長ではない「いま」が、自由が、いつか(いまこそ?)そこから立ち上がってくる(いる?)のではないかと、思わせうるものがあった。
インタヴューイーとしてのピナ・バウシュは、チャーミングなひと、という印象。