『バイオポリティクス』



冷戦が終わり、先進国はお金の使い方を変えた。
物理科学ではなく生命科学に莫大なお金が落ちるようになる。
自然科学全体の研究主軸が「外なる自然」から「内なる自然」へと大きくシフトしたのである。
著者は、同じ言葉を使ったフーコーによる問題提示をふまえながら(といっても、その有効射程を最短に見積もっているようで、「内なる自然」が個々の身体というレベルを超えて解体・編集されるゲノム的自然として展開する現況には対応しきれないものと見限った、それこそ拡がりをもたない理解をしているのはソーリーだが)、彼が「バイオエシックス」という括り方では扱いきれなくなったとみる先端医療や生物技術に関する世界的な現状を紹介し、日本が取り組むべき政策について議論していく。
ヒトゲノムの位置づけ、バイオバンクの構想、ヒト胚研究の規制について。
人体部分の商品化については、臓器移植法対象外の皮膚・骨・軟骨・腱・心臓弁などの採取・保存・加工・分配をどうするか。
また臓器の不足と格安移植ツアーの増加など。
ヨーロッパでは、公害が表面化した60年代の後半には、環境庁あるいは環境保護庁が創設されたが、21世紀に入ってどうやら「人体保護庁」と呼ぶべき機関を設置する方向にあるらしいが、さて日本ではどうか。
こうした問題について、客観的で公平な立場から、技術を評価し、規制の必要性や経済的評価について議論し、社会的価値観や諸外国の政策と調停・調整すること。
そしてまずは社会が取り組むべき問題をわかりやすく示すこと。
政治や科学を専門にするはずの連中が手を拱いているのなら、といったところか。


自己決定・自己責任の考えをベースにした「バイオエシックス」が、どうやら賞味期限がきているようだと指摘することから始めながら、現状を改善していくには政策官僚や研究者に頼らず自分自身で問題意識をもって工夫をこらした調査をすることこそが打開策だと締めくくらざるを得なかったのは、皮肉といえば皮肉だが、それだけに筆者が付け加えている「横につながって力をつけること」が、いよいよ重要になる。
その延長上に、あるいはそれと並行させるようなかたちで、「独立したシンクタンク群を社会の側がもつこと」が望まれるのである。


以下、メモとして。


・ゲノム人(Homo Genomicus)

イギリスのゲノム政策の基本には、二一世紀社会を構成する理想人として「ゲノム人(Homo Genomicus)」が措定され始めているようなのである。それはちょうど近代経済学がその基盤に「合理的経済人(Homo Oeconomicus)」という仮定を置いているのに似ている。ここで合理的経済人とは「自己の経済的効用を最大化するために自由でかつ合理的な選択を行う人」と定義される、仮想上の人間である。これになぞらえれば、ゲノム人とは「ゲノム研究とゲノム情報の意味を理解し、自らの指針に合理的に活用できる人」であり、新世紀のあらまほしき理想人とし始めているとでも考える他ないほど、イギリスのゲノム関連政策は深化してきている。p113-114


・ニック・ボストロム(N. Bostrom)/超人間主義(transhumanism)

 ボストロムは、超人間主義を、歴史的には世俗的人間主義(secular humanism)と啓蒙主義の延長線上にある立場として位置づけ、現在の人類は科学技術によって健康・寿命・知能・運動能力の面で改良の余地があり、精神状態も自己制御しうる存在である、と考える。明らかに、キリスト教的世界観からの脱却が西欧近代であったことを、自覚している言葉の使い方である。実際「生命科学による現世的自己救済」を開始した世代の人類を、フランシス・フクヤマらの用語に従って「ポスト・ヒューマン(posthuman)」と呼び、それがなんら歴史を逸脱した異物ではないと指摘する。p245-246