p2*[book]『シチリアでの会話』


シチリアでの会話 (岩波文庫)

シチリアでの会話 (岩波文庫)


訳者鷲平京子による「解読『シチリアでの会話』」が、周到綿密。
ヴィットリーニのこの象徴的で多義的な文章を読むにあたっての、力強いガイドとなる。
イタリア史(とりわけ文学史・思想史)における、そしてヴィットリーニ自身の精神史におけるスペイン内戦の重要性。
それを機にヴィットリーニは、『シチリアでの会話』を書き、まるでキリストが死んで復活するように、ファシズム信奉者から反ファシズム闘士へと転生してみせたのだ。

 母は苛立っていた。
 「悪魔にくれてやるわ、中国人なんか」と言った。
 そこで私はさらに声を張りあげた、「でしょう? 彼はどんなに気の毒なひとよりもずっと気の毒なのに、あなたは彼を悪魔のもとへ追い払ってしまう。では、あなたが彼を悪魔のもとへ追い払ったとしますね。でも、考えてみてください。彼はこの世でそれほど気の毒なのに、何の希望もないのに、そのうえ悪魔のもとへ追い払われてしまったのです。そういう彼こそが誰よりも人間であると、人間の類であると、あなたには思えませんか?」
 母はますます苛立って私を見つめた。
 「中国人が?」と問い返してきた。
 「中国人が」と、私も言い返した。「あるいは、あなたが注射をしてあげているひとたちのように、病気で寝こんでいる気の毒なシチリア人でもよいのです。より人間であり、より人間の類なのではないでしょうか、そういうひとのほうが?」
 「そういうひとのほうが?」と、母が問い返した。
 「そういうひとのほうが」と、私も言い返した。
 すると母が訊いた、「どういうひとに較べて?」
 私は答えた、「ほかのひとたちに較べて。何しろそのひとたちは病気なのですから……苦しんでいるのですよ」
 「苦しんでいる?」と、母が叫んだ。「それは病気のせいだわ」
 「それだけでしょうか?」私が言った。
 「病気を取り去れば、それでおしまいよ」と、母が言った。「それだけのことだわ……病気のせいですもの」
 そこで私が訊いた。
 「ならば、飢えで苦しんでいる場合は、どうなのでしょうか?」
 「そうね、それは飢えのせいということよ」母が答えた。
 「それだけでしょうか?」私が言った。
 「決まっているでしょう?」と、母が言った。「食べ物を与えれば、それでおしまいよ。飢えのせいですもの」
 私は首を横に振った。変わった答えを母からもらうことができないままに、なおも訊いてみた。
 「ならば中国人は?」
 母のほうは、ところがもはや、何の答えも返してくれなかった。変わったものも、変わっていないものも。そしてただ、肩を竦めてみせた。たしかに彼女は正しいのだった、当然のことながら。病める者からは病気を取り去るがいい、そうすれば苦しみはなくなるだろう。飢えたる者には食べ物を与えるがいい、そうすれば苦しみはなくなるだろう。それにしても人間は、病気のなかで、どういう存在になるのか? そして飢えのなかでは、どういう存在になるのか?
 飢えとは、飢えという形をとった世界の苦しみそのものなのではないか? 飢えている人間のほうが、より人間なのではないか? より人間の類なのではないか? ならば中国人は……  p168-171