『マルテの手記』


マルテの手記 (新潮文庫)

マルテの手記 (新潮文庫)

 僕はもう少し書こう。もう少し書いて、何もかも言ってしまいたい。いつか、僕の手が僕から切り放されて、何か書けと命令すれば、僕の考えもせぬ言葉を書くようなことがあるかもしれぬ。全く変化してしまった解釈の時間が始まるだろう。もう言葉と言葉とがまともに続かなくなってしまうのだ。一つ一つの言葉の意味は、雲のようにつかみどころがなくなり、水のように流れてしまうのだ。僕はしかし、おそろしい恐怖にもかかわらず、結局何か偉大なものの前に立たされた人間だという気がする。何か書いてみようという気持ちをちっとも持っていなかった時分から、僕はときどき、そんな気がしたのを覚えている。しかし、今度は、いわば僕が書かれるのだ。僕が何かを書くというより、むしろ僕が何かに書かれてしまうのだ。p65

破って捨てた手紙の一枚の端きれが、誰に見られてもならぬ極秘なもので、部屋じゅうどこに隠しても安堵がならぬみたいに不安が襲ってくる。もし眠ってしまったら、何かのはずみで、暖炉の前にころがしてある石炭の塊りを知らずに飲みこみはすまいかというふうな不安が起る。頭の中で何かある数字がたちまち大きくなりだし、僕の頭の中におさまりきれなくなるような気がしてくる。花崗岩が僕が寝たところだけ無気味な灰色に変色しはしまいかと思う。僕が無意識に悲鳴をあげるので、人々が部屋の前に集まり、扉を破ってはいって来るような恐怖もある。思わず何もかも言ってしまい、言ってはならぬと思っていることをかえってあけすけに言ってしまいはせぬかという不安。また、いくら言おうとしても、どういうふうに言ってよいかわからず、一言も口がきけぬのではないかという心配。そのほか、ありとあらゆる不安、心配、気がかり……。p78

 自分ではもはやどうにもならぬ事柄を、少しもその事実を悲しみもせず、ましてなんの判断もしないで、ありのままじっと身に受けとめておくというのはたいへん立派なことに違いない。p242

 古い自分の日記を読み返してみるがよい。まだ春浅い日、訪れた新しい春の美しさが、きっと自分に対する一つの非難のように胸を刺す時があったのを思い出すだろう。p292

 彼はこの家にいつまでとどまるだろうか。人々から与えられた曖昧な生活の輪郭をなぞって、顔形まで彼らに似て、一生を過ごしてしまうのだろうか。彼の意志の神経的な誠実さと家族の人々のみえすいた虚偽(それがどのくらい人々自身をそこなっているかもしれぬのだ)とにはさまれて、とうとう彼の体は引き裂かれてしまうのだろうか。心弱くあきらめかねた家族の人々を、彼は容赦なく傷つけるような人間になるのを断念するだろうか。
 いや、彼はやはり家を捨てるに違いない。たとえば、人々が忙しそうに彼の誕生日の食卓を飾っている時、彼は飛び出してゆくだろう。いやなわだかまりをきれいに解くつもりで、人々が自分勝手な憶測から選び集めた贈物の数々をよそに、彼は永久にこの家を立ち去るのだ。やがて彼は、この時すでに人を愛してはならぬと強く心を固めていたことに思い当たるに違いない。それは「愛される」という恐ろしい地獄へ誰をも突き落とさぬ配慮だったのだ。p313

 さて彼は、「放蕩息子」は、ただ生きる道に忙しく、まだここに愛が残っていようとは予期していなかった。p320