『行動主義 レム・コールハース ドキュメント』
- 作者: 瀧口範子
- 出版社/メーカー: TOTO出版
- 発売日: 2004/03/15
- メディア: 単行本
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「ミースが、ユニバーサルな方法でデザインを確立しようとした人物だと見るのは、彼のほんの一部を理解したに過ぎない。彼の本当の姿はその奇妙さ、不思議さにあるんだ。ミースには不可思議なところがたくさんあるんだけれど、それがいつも編集されたアートとなって語られてしまう。そうしたことに対して敏感な人であってもそうとしか理解できないのは、彼の不思議さが非常に説明しにくいものだからなんだ。しかもミースは、自分の動機をまったく明らかにしない方法でものを書いていた。そこには何か意図された大きなギャップが存在する。」p429
「だがら変な話なんだけれど、状況の中にカタリスト(触媒)になるものを注入しておいて、そこで化学反応を起こさせる、といったようなことを必ずやっているわけだ。……」p400
−−−−−−……空間へのアプローチという点で、コールハースとご自身のやり方をどう比較しますか。
共通しているのは、構造が意味をもっているという点でしょう。僕の場合は、形態そのものよりも、構造と表面を一致させて表現することに興味がある。表層そのものが構造体であるという強さ、しかもそれが従来の構造とは違うものとして実演したい。近代建築は基本的にカーテンウォール・システムでできていたので、構造が表から引っ込んでいるんです。それを表面に一致させることによって、構造自体が装飾や表現になっていくわけです。一方レムは、アクロバティックな場合も含めて、その構造を形態の表現と組み合わせるのに使っています。(伊東豊雄)p382-383
−−−−−−最初に形態があって、そこから構造を考えるのですか。
場合によりけりです。たとえば、伊東豊雄さんのサーペンタイン・ギャラリーでは、まずジオメトリーを出しました。どんな場合でも、私の思考の起点は建築のボリュームとスペースにあります。もしかたちが与えられれば、そこから考えを起こして、そのかたちを変えたり、違ったアイデアを出したりする。私がやっているのは、構造が建築のカタリスト(触媒)となって、考え方ががらりと変わるようにすることです。ただ建築を自立させるためだけの構造を考えるのではない。(セシル・バルモンド)p273--274
−−−−−−どんな作品をつくるかというところではなくて、どうふるまうのかという部分ですね。
そこがレムを見る際の重要なポイントです。彼の建物は面白いんだけれど、彼の本、オフィス、活動はもっと面白いんです。デザイナーやデザイン的な知性の応用範囲が並外れて幅広い。一体デザイン的思考がどこまで到達できるとレムがとらえているのか、そこが重要なんです。多くの建築家が彼を嫌うのは、彼らがデザインは「〜すべき」と大袈裟にとらえているところを、レムはデザインなら「〜できる」と当たり前のように考えるからです。(サンフォード・クィンター)p296-297
「僕は、この案に対しては、”好きさ”が少ない」と言ったこともあった。コールハースの英語は、決してネイティブ・イングリッシュではない。かなり高度な英語だが、多少のなまりもあるし、通常の英語的表現からかけ離れた言い回しも登場する。時には書き言葉がそのまま口から出てきたような複雑過ぎる表現を聞き分けなければならない時もある。
だが、英語というのはかなり許容範囲の広い言語で、おおまかな文法さえ合っていれば、ネイティブでない人間が話す奇妙な英語も表現性の幅としてとらえられることも多い。何よりもコールハースは、ある意味では自分の非ネイティブ性を武器にして言葉を巧みに操り、枠にはめられた正しい英語の退屈な言語レベルをはるかに凌駕するのである。p205
コールハースの言葉は、いつもそこで起こっていること以外の何かをほのめかす。その言葉によって、意図していることと、いろいろな都合上実際に起こらなくてはならいことの乖離が見え、また世界で起こるすべてのことが、まったく別のものでもあり得たのだというパラレル性を感じさせるのだ。p94