『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』


にほんの建築家 伊東豊雄・観察記

にほんの建築家 伊東豊雄・観察記

「スケッチは、口から手を入れて心臓をつかみ出すようにして描く。心の底から描く」p266-267

 「デザインをするのは書くことと同じです。あいまいに動き続けるものを、どこかで止めて限定するんです」
 そして、伊東の頭の中にあるかたちは、いつも流動的な状能で動き続けているのだと続ける。デザインを固定させる時は、いつも「ああ、またやっちゃった」と思う。流動的なものを、あるところで一瞬のうちにフリーズさせる。止めなくてはいけない、その残念さ。デザインとは、その止まらせ方をどのようにおもしろくできるかという問題なのだ、と。
 「ですから、デザインをするということは、ゆらぎがそぎ落とされるということなんです。その結果としてモノができる。しかしモノになった時に、そこから再びことばが広がり始めるのです」p174

 「伊東さんは今、とてつもなく難しいことを考えていると思う」と須藤は言う。須藤と安東が「私たちなんか、もういらないわよ」と感じたのは、サーペンタイン・ギャラリーができた時だった。「ギョッとした」と須藤は言う。ブルージュのパビリオンもそんな気持ちをさらに強くさせた。従来のように構造体と壁、天井と分けて考えるのではなく、外壁自体に構造の役割を担わせたらどうなるか。コンピュータが素材と荷重を計算した結果、多様な多角形が連なる特異な外壁パターンを自動生成し、それがそのまま建築となって成立する。
 布というパターンの専門家であるはずの須藤は、ずっと連続しながら無限に拡大していくような、そのパターン自体の奇矯さにも目を奪われた。人間が考えられないようなパターンを、コンピュータが生み出してしまう。こうなるともう、建築自体が布のようだ。p215

 建築の構造というと、建物に不可欠ながらデザインとしては邪魔もの扱いされてきた。数年前までの伊東も含め、近代主義建築に傾倒する建築家たちはどうにかしてその構造を細く、目立たないものにするよう躍起になってきた。だが、伊東は2000年に竣工したせんだいメディアテーク以降、そのアプローチをすっかり変えた。そして、逆に構造体自体を、建物を支えつつ、けれども人々の目にしっかり焼きつけられるような存在として位置づけられないかと考えている。構造体に手を加えるという試みは、コンピュータの高度で高速な計算処理能力に助けられて、ここ数年ますますおもしろくなってきた。伊東は、建築家として大きな思想的な転換を通過したばかりだ。p10

 摩天楼の大都市や純粋形態の建築が整然と並ぶ未来都市など、ミース・ファン・デル・ローエル・コルビュジエが描いた20世紀の夢は、そのおおかたがすでに実現されてしまった。近代主義は、周囲から孤立し閉じられた箱のような建築をつくり、自然との関係が結べなかった。そうした20世紀の考え方は、現在の人々には夢を与えるどころか、均質的な空間で退屈させている。複雑なネットワークの中に生きるわれわれは、それほど明解な機能を持たないはずだから。
 「もはや近代主義から、新しいものは出てこないんです。それに代わる新しい理性が必要とされている」
 伊東は続ける。そして「自然や世界の一部であるという人間像」が求められ、それに対応した建築、超近代人のための建築をつくらなければならないと静かに力説する。
(中略)
 「新しい有機体」と、伊東はそうしたプロジェクトを先立って名づけていた。そしてその特徴を提示する。ひとつ目の特徴は、建築のかたちではなく、その働きが自然をなぞること。ガウディのように表現主義的に自然を模倣するのではなく、自然が成り立つ仕組みを模倣する。ふたつ目は、機能的な建築ではなく、さまざまな場を生み出す空間であるということ。たとえば公園の中では、歩いて場所を選びながら自らの行為を決断するように。建築はあらかじめ人間の行為を決めつけるのではない。
 3つ目の特徴は、その場所で1回しか生まれないということ。近代建築は理性的に、どこででも同じ空間が生み出せることが自慢だった。だが、21世紀の建築はそうした工学的な建築ではなく、農学的なイメージのものになる。その場所で、その地形で、その人々とつくる。そして最後の特徴は、20世紀的な視覚的な空間ではなく、皮膚感覚的な空間になるということ。そうする中で、20世紀の建築が禁じてきた装飾が考え直され、21世紀的な新しい装飾が生まれる。p336-338