若冲展

相国寺承天閣美術館

動植綵絵」三○幅はかれの四○代を費やして完成され、相国寺に寄付された*1。細密で濃厚な彩色手法で描かれたこの連作には、さまざまな動植物が、写実と装飾、空想とアニミズムの交錯する不可思議な世界をつくりだしているのが見られる。(『日本美術の歴史』p317)

画中の鳥たちは、若冲のしつらえた三角や丸の幾何学図形に呪縛され、窮屈な姿勢で画面に凝縮されているにもかかわらず、そのことは至極当然といった顔つきをしている。若冲自身も(そしておそらくは当時の世間の大方もまた)かれの描いたものが絵画の常識から逸脱しているなどとは思っていなかったようである。逸脱というにしては、すべての細部があまりにも落ち着きはらった計画性によって仕上げられている。隅から隅までびっしりと描きこまれながら、署名の場所にはちゃんとその分だけの余白がとっておいてある。(『奇想の図譜』p126)

「綵絵」の画面空間は、どれも共通した特色を持っている。それは一種の無重力的拡散の状態に置かれたといってよいような空間である。波状型曲線の組み合わせに還元された動物、植物、鉱物のさまざまのフォルムが、そのつかみどころのない空間のなかで、蠕動し浮遊する。それらのなかには「蓮池遊鯰図」の蓮のように、海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を呼び起こすものや、あるいは「老松白鳳図」の鳳凰の尾羽の桃色のハート型の乱舞のように、それこそサイケデリックな幻覚を誘い出すものすらある。(『奇想の系譜』p110)


辻惟雄は、若冲の絵画空間の特色をその〈無重力(浮遊)〉〈正面凝視〉〈増殖〉といった要素に見ているが、画面に描かれているモノたちが、これほどリアルでありながら、およそ「時間」や「場所」というものを感じさせない「動植綵絵」(「釈迦三尊像」もまた、どんな時空をも感じさせない)よりは、その前に立つと(できれば腰をおろして、少し離れて見ていたかったが)淡い月影を浴びる今がここに現れ、芭蕉の葉が風にさやぐここが今として流れはじめるような「鹿苑寺大書院障壁画 月夜芭蕉図床貼付」のほうが、この日のわたしには楽しめた。

*1:現在は宮内庁三の丸尚蔵館所蔵。