『レイアウトの法則』


レイアウトの法則―アートとアフォーダンス

レイアウトの法則―アートとアフォーダンス

佐々木 ギブソンの言う「あらゆるところに同時にいる」というのは、要するにどんな知覚も時間がかかるということです。変化によってあらわになる不変が知覚の根拠であるとすると、どこにも固定した視点を持っていないことが知覚の根拠になるわけです。伝統的には固定された視点が知覚の根拠だと考えられてきたのに、それがないことが根拠なんだという転換ですね。
 ある場所に住んでいるという経験が、その場所を知っていると言う根拠ならば、その場所全体に自分がいると言っていい。いまの観察点から方々の方向への「見え」を妨げている建物や壁などがあったとしても、その向こうに開けている景観を次々と移動しながら経験していると、そのうちに建物の下にあって見えないはずの地平線が「見え」始める。環境の知覚はそういう不変項の探求である。だから終わりがない。「いま、ここ」で知覚を考えないということなんです。p72

畠山 写真は止まっているから時間がある、という言い方をするんですね。普通は、静止しているから時間がないというのに、まったく逆に捉えている。
佐々木 視覚には時間がない。これはとても重要な指摘です。でもそうじゃないですか? 僕が畠山さんに見ている持続と、窓越しに見える外の景色の持続とは違うのですが、どっちも僕は一挙に見ています。それはすべてが繋がっていて、途切れていません。常に同時に見えている。(……)現実の視覚には、時間なんてものは存在しない。タイムレスなんです。ところが、写真にはちゃんと時間が写っているじゃないですか。時間が凍結されてその中に留まっている。p90

佐々木 家族的類似性というのは、最初から家族はみな似ているというように、全体の性質を先に決めて言っていることですよね。それは境界の内部のことです。僕が言いたいのは、塚本さんと同じで、差異を作り出す方の類似性です。似ているけれども違うことが作る配列のことです。意味になるずれとしての類似性。
塚本 最初から決めてしまわない、という意味では、輪郭を描かずにいかにしてユニットを作るかということに関心があります。輪郭を描くことによってユニットを作るのは容易い。その時には自分が作った輪郭がユニットそのものになるわけですが、輪郭を描かずにユニットを見つけ出すのは、実はいろんなものの性質や関係を理解しないとできない。そういうユニットというのは、そこにある幾つかの物どうしが持っている性格の重なり合いが作るものだと思っています。一点だけではできないけれども、少なくとも複数の点のあいだに線を引くという最小の手間によって、その線からの距離とか、時間の関係がその横にある物とのあいだに生まれれば、そこにはもう、何らかのユニットが生じていると言える。p143-144