『輝ける女たち』英題 FAMILY HERO(2006年、仏、ティエリー・クリファ監督)

家族とは、互いを理解し合うとは、をあらためて考えさせてくれる映画。たまたまふりかかった条件の下で、自分も他人も否定することなく、それぞれのらしさを生かしながら、互いに共存の道を探ろうとする無様な姿が知的でかっこいい。亡くなった人と言葉を交わしていたのは、画面に映っていたひとりだけではなかったのだろう。そういえばフランス語で歌われるオン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリートが何だかこそばゆいのだけれど、ニースを訪れたことがある人なら、夕暮れのニースの海岸のあの遮るもののない横殴りの日差しの黄金の眩しさと漆黒の闇のような影の深さを目にすることができるのは、きっと嬉しいことだと思う。
〔以下、追記しました。〕
この映画は、ニースにある小さなキャバレーの相続をめぐるお話です。突然の死を遂げたオーナーの遺言によって、お店を相続するのが「息子」の自分ではないと知った主人公の奇術師は、しかも相続人たちが(それは主人公の実の息子や娘なのですが)すぐにも店を売り払うというので、その将来を設計しなおす必要に迫られる、というわけです。
きっとこのキャバレー「青いオウム」というのは、ちょうどマジシャンにとって小道具に使う筐に相当するような、そこからウサギが飛び出してきたり(主人公の元妻ふたりが、彼が可愛がっているウサギをダシにして拵えたジョークが笑えます)、それもろともに女性の胴体をまっぷたつにしてみせたりするような、そんな「入れ物」なのでしょう。種や仕掛けがたっぷりのワケありの入れ物が、彼らの関係を組み換えていきます。隠し部屋なんかもあったりして、そこで同性愛者である息子は、母親がかつて娼婦であったことをはじめて知ったりします。突然の死を遂げて亡くなってしまった店のオーナーと彼の「家族」たちとの「対話」こそが、入れ物に用意された種であり仕掛けであり、それが彼らの手持ちの情報を生きる知恵に変えていくのですが、その対話の方法が、それぞれの個性とその組み合わせの妙によって多様なものとなっていて、そのことがこの映画を明るく楽しいものにしているように思います。